カテゴリ
乗り物
旅 行 楽 器 温 泉 美 人 読 書 写 真 界 隈 ハウス 夢の風景 美術/芝居/音楽/映画 1986夏.山形行SRX& 1986秋. 東北行SRX4 1989冬.イタリア 1995夏.山陰九州SRX 1996夏.紀伊半島SRX 1998夏.北海道行XT500 2000夏.東北行XT500 2001夏.沖縄行XT500 2002夏.北海道東北XT 2003冬.北海道カローラ 2004冬.九州行145 2005秋.沖縄?XT500 2006秋.東北行145 2008冬.湖北・北陸145 2012夏.東北太平洋行SR 七月のにぎやかな客人 その他いろいろ 最新のコメント
ブログパーツ
タグ
Telecaster
サッカー
物怪
植物
キャンプ
camera
CD
FIAT
あがた森魚
SR
エレキ
俳句
ALFAROMEO
XT500
温泉
猫
散歩
Stratocaster
旅
音楽会
外部リンク
フォロー中のブログ
草仏教ブログ 万歳!万歳!万歳! イノレコモンズのふた。 菊田ヴァイオリン工房 ... 【○八】マルハチBlog 三線弾きはカジマヤーで魂... BMW R80 ベンベナブログ 「峰風」とともに Paint & Cust... ◇プチ サプライズ◇ フロントロウのGPZ90... にゃルニア日記 山歩路通信―さんぽみちつ... 週末はオートバイで・・・ daily-sumus2 エフなななGS ライフログ
以前の記事
2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
1 ![]() 先だって見つけた冷却フィンの上にオイル流れ。 部品が届いてしばらく放置。昨日暖かかったので修理してみた。修理というか単なる部品交換。 話は変わるけど、最近やっているゲーム「Red Dead Redemption 2」。 西部劇のならず者になって盗み殺し奪うゲームなのだが、馬が愛しい。普通は、一番足の速いアラブ馬を手に入れて愛馬にするのだと思うが、ぼくの愛馬は顔の皮膚が剥がれて肉が出ているような痛々しいやつ。毛並みもボロボロでいくらブラシを掛けても綺麗にならないし、足も特に速くはない。 元々馬車を引いていた馬を奪ったらこんなだった。闇夜の戦いだったのでよく見えなかったのだが、馬車に女を拉致して逃げるところだった怪しい連中をぼくことアーサーが銃撃して救ったのだ。その馬車にはさらわれて悲鳴を上げていた女と惨殺死体2体が乗っていた。不気味だった。「今のうちに逃げろ」と女が言うので、ぼくもナンヤ恐ろしくなって慌てて馬車から馬だけ盗んで逃げた。 多分世界中で彼を愛馬にしているのはぼくだけと思う。ボロボロ。名前はデッドアイディック。 もう一頭、快速馬もいて、そっちはエリナー・リグビー。ブフブフ、、、。 * * * * * * * * * * 引っこ抜く前にヘッドカバーの周辺を洗浄スプレーで念入りに洗浄。 ケーブルを引っこ抜くとドロドロ。汚泥状の油。ううう〜〜〜。 タンクシートを外しても実質30分かからないくらい。ただキャブのホースを外しておかないと、タンクを持ち上げようとしたときに、むかっ腹を立てることになる。 そしていつものコース約20kmを走る。夕方の遠い富士山。風が半端なく強かった。逗子のトンネルを出たとき吹き飛ばされるかと思った。そんな時、ビビってアクセルをゆるめると余計によろけるので、強気で開けるべし。ドドドドド、、、! 今朝、昨日交換した部品をもう一度抜いて点検してみた。外側には漏れてないけれど、やはり内側ドロドロ。 これはヘッドカバー内部のギア辺りから直さなダメかな?ヘッドカバー開けるのめんどくさいから、当分このままで行く。 と決めた。 ▲
by magari_tumuzi
| 2018-12-20 13:26
| 乗り物
|
Trackback
|
Comments(0)
フィアット500を買って早や4年と10ヶ月くらい。この間バッテリーの交換をせず不安がもこもこふくれてきた。エンジン始動のセルモーターもパワフルでまだ全然使えそうではある。 だけれども、もう新しいやつを買って置いていた。小心者なので、9月ぐらいに。 ネットの噂ではあちこちに「バッテリーが突然死して復活しない」などと書かれているのを見たので買い置きしていたものの、交換がめんどくさくてそのままになっていた。やり始めれば30分ぐらいで終わるのに。 ケチンボ&ビンボーなのでとにかく一番安いやつ。一番安くてもちゃんとアイドリング・ストップ(スタート&ストップ?)機能に対応したAGM規格なので、同じ容量の通常のバッテリーと比べて倍額くらいする。(調べていてビックリした!) 着いていたのは、純正品? わざとらしくメーカーロゴが貼ってある。 買ったのは、よくわからないメーカーATLAS製。 調べるとACデルコと技術提携とあるので、まあ大丈夫だろうと思って踏み切った。最初は評判の良いBOSCHとかVARTAとかEXIDEで探したけれどATLAS製に比べるとだいぶ高い、、、こういう所で「ヤスカロウワルカロウ」のサダメに落ちるパターンがぼくにはよくあるのだが、ネットの評判も悪くないので「まあいいか」という感じ。 (ACデルコ、パナソニック、ユアサ、フルカワでも検索したけれど、ぴったりのバッテリーが見つからなかったり自分的には法外な値段だったので上記四社から選んでいる。) このひと月くらい、クルマに積んだまま走っていたのを忘れていたのだが、寒くなったので替えておくかとなった。寒いから替える? 感電に気をつけながらキュッキュとね。左右がメーカーの想定と逆なのか、メーカーロゴがあっち向いちゃってまるで無名メーカー製のようにグレー。持ち手が着いてて楽だった。 むか〜しむかし、親戚の人だったか、バッテリーをはずそうとして バチッ!イテっ ってやって青い火花が飛ぶのを見たことがあるので、ことさら気をつけた。 作業はすべて心臓から遠い方の右手。完全に怖じ気づいてやった。油汚れのない作業は好き。 日付も入れてキリッと。 三ヶ月ほど放置していたので、充電が抜けちゃってるのでは?と心配だったが、ちゃんとエンジンがかかった。特にパワフルになった感じもないし、オーディオの音が良くなった感じもない。時計を合わせて終了。 ATLASについていた赤い板状の電極保護プラスチックを古い方に付けたら固定用の穴の場所とかサイズがピッタリだった。ひょっとしたらコレ純正のOEMメーカーなのかも?と思った。 しかし画像検索でバッテリーをいろいろ見てみたら、どこのメーカーも同じような穴が開いていることがわかった。ナ〜〜ンダ。 古いバッテリーの電圧?を測ろうと思ったら、ふたつ持ってるテスターの電池が両方とも切れていて測れず。まあいいか。そのうち引き取ってもらえるところに持っていこう。 ,
▲
by magari_tumuzi
| 2018-12-10 13:07
| 乗り物
|
Trackback
|
Comments(0)
高取英さんが亡くなった。 高取さんは月蝕歌劇団を主催する劇作家で、寺山修司と深いつながりのあった方。 その高取さんには、上京してから大変にお世話になった。 本当に感謝しかない。 ぼくは東京に出て最初についた仕事が、ビニール本の製作会社だった。ビニール本は今や大人のおもちゃ屋くらいでしかみかけることがないエロ本。中身が過激なのでビニール袋に入れて売られていた違法すれすれのグラビア雑誌を作る会社。ぼくはレイアウターで、カメラマンとディレクターが撮ってきた写真を頁指定してトリミングや、なにやらエロいコピーを考えて配置すると云った仕事だった。 その会社に高取さんは昼頃ぶらぶら来て、適当に時間をつぶして帰って行った。なんの係なのかわからないが嘱託として働いていた。違う名前でやってたなそういえば。 たいてい水色系のワイシャツの脇の下に汗を掻いて、長いさらさら髪がペタペタくっついて、いつもハアハア言ってた。時代に関係ないシャツとスラックス。いつも機嫌が良くて笑っていることが多かったし、知的で色んなエピソードを話してくれたので、会うのが楽しかった。 天井桟敷にいた友だちがくれた劇団公演の新聞に求人広告が載っているのを見て応募したのだった。 (「観客席II」か「百年の孤独」の頃だったと思う。) 高取氏は、天井桟敷に所属していたのではないらしいが、寺山修司の近くにいて秘書かナニカのような事をしていた?よくわからないが、劇団員の友人は「打ち上げの時でも寺山さんと別の部屋に消えてしまう」とか、そんなことを言ってて、彼にとっては部外者のような感じで、あまり好いてはいないようだった。 まあしかし内情はよくわからない。 先日、寺山修司展を観に行く道すがら、途中の馬の博物館に寄ったら、期せず「猪熊弦一郎展」をやっていたのでついでに観覧。妻が「見たかった」と云って喜んでいた。20世紀のタブローは面白いナ。 馬の博物館は根岸森林公園という、元競馬場の広い土地を公園にしたところで、桜の季節は素晴らしい。なだらかな丘陵風景が奇妙な遠近感を持っていて、せり出してくる桜の山と芝生の広場が幻のように迫ってくる。広々としてのんびり出来るとても良いところ。 そのあと港の見える公園横の神奈川近代文学館へ。 展示装飾の寺山作の俳句や台詞のぶら下がった幟の文字の「書体」が気になって、言葉が入ってこないパターン。祖父江慎さん、凝り過ぎ。っていうほど凝っては見えないように凝っている感じが伝わってきた。まあいいか。 三沢市にある寺山修司記念館ほど胸を打たれなかったのは、あまり演劇的ではなかったからだろう。 原稿やハガキなど、読む物多数だったので文字だけ見て文は読まずに飛ばして、つらつら通り過ぎた。メモなど取りながら深く鑑賞する中高年が多かった。そういえば寺山修司は競馬が好きで、かなりいろいろと書いていたが、トキノミノルのことも書いただろうか? 寺山修司は逃げ馬が好きだったようだ。ぼくも競馬を見るときは逃げ馬が好きで、もっとも好きな馬はサイレンススズカ。圧倒的に強かった彼の馬、武豊を背に先頭を走りながら転倒して予後不良になった。思い出すと哀しくなる。 寺山の影響なのか高取さんも競馬はよくやっていたらしく、ツイッターに「的中」と頻繁に書いていた。 また当てたのか?と読むたびに思ったが、実はかなりの点数を買っているらしかった。儲けたのかガミっていたのか、詳しくはわからない。 ビニール本出版社を辞めて、高取さんとHさんと三人で「コーネル天文台」というユニットを組んだ。 ぼくは、まあデザイナーという触れ込みだったが、実際「デザイン」的(プレゼンとかラフ作製とか)な修行はなくて、印刷に向けた指示がちょっと出来る程度だったので冷や冷やもんだった。 コーネル天文台の最初の仕事は、月刊宝島に記事を作ることだった。これは高取さんの営業のたまもの。 第1弾が村上春樹インタビュー。ぼくも、たしか新宿の喫茶店だったと思うけれど同席。坊主刈り?のまじめで意志の強そうな人の正面でもじもじしていた。 宝島には当時メインのロングインタビューがあったので、僕らの記事はサブで、5頁くらいだった。今までレイアウト用紙に印刷指定しかしたことがなかったが、始めて版下という物を作ることになった。 他所でちょろっと垣間見たのを真似して、墨ベタの部分を黒く塗って持っていったら、当時副編集長だった渡辺祐さんに「指定だけしておけば、黒く塗らなくていいんですよ。」とやさしく云われた。 (その20年後くらいに友人の結婚式で司会をやっているのにでくわした。挨拶してあの頃のお礼を言おうと思ったけれども、こちらはしがない外注のレイアウター、きっと覚えていらっしゃらないだろうし、祐さんはサブカルの偉人で司会役をこなし中だったのでとても近寄れなかった。) ちなみにあの頃の編集長は関川誠さんで、'80年代ニューウェーブの上昇気流を鋭く捕らえて発信していた。 今でこそサブカルとは云うけれど「宝島」こそニューウェーブのメインストリームだった。その影でこっそり毒水のようなものを調合していたわけです、我々コ ー ネ ル天文台。サブカルなんて言葉あったかな?今となっては村上春樹は大メジャーですが、、、 (コーネルはもちろんジョセフ・コーネルから戴いたもので、コーネル大学は関係ない。) 「JICC出版(宝島を発行していた出版社)はマンガを出したがっている。」 と、高取さんはずっと目星を付けていて、何度も企画書を持っていっていた。月刊ペースでやりたかったのではないかと思う。彼は「エロジェニカ」というアダルト漫画誌の編集長だったので、漫画誌作りのノウハウには長けていた。ようやく別冊という形で企画が通って出せた本が「マンガ宝島」。高取さん好みというか、コネを最大限活用して、ウルトラジェット推進!レギュラー化へレッツゴー、の気概も虚しく創刊号で終わってしまった。高取さんとJICCの間に何があったかも、ペーペーのぼくにはよくわからない。表紙をやらせて欲しかったナ。 以後インタビューの連載も数回程度で終わり、高取さんともなぜか会わなくなった。 「マンガ宝島」が'82年で、月蝕歌劇団旗揚げが'85年なのでその準備期間に入ったのだろうか。 確か、JICCからはB5判の漫画誌が一度出たような気がする。あれは高取さんの作った「マンガ宝島」のノウハウが一端にあったのだろうか? ずっと後になってJICCが宝島社になりCutie Comicという漫画誌が出るけれど、それとはまったく関係ない。(たまたま仕事で宝島社に行くことがあったが、飯田橋のちっこい事務所から半蔵門近くの立派なビルジングに引っ越していてとてもビックリした。儲かると云うことはこういうことなんだな、と感慨深かった。) 一度、下北沢に住んでいる頃、駅近くでばったり会った。相変わらずの水色系のYシャツに明るいグレーのスラックスだった。破顔し名刺をくれて「連絡してくれ」と云ってくれた。 確か3年ほど前に月蝕歌劇団を観に行って、会場のあちこちでいよいよ怪人めいた容貌になった高取さんを見かけたが、いつも誰かと話を交わしていて忙しそうだったのでついに声を掛けそびれそのままになった。その時のことをブログにしたような気もして探してみたが見つからない。変だな。 まあとにかく感謝しかない。 追悼の言葉の代わりに一時期の高取さんとの微かな思い出など残しておこう。 いつもおどけた感じで話していた笑顔が思い出される。ありがとうございました。 、
▲
by magari_tumuzi
| 2018-12-03 11:01
| その他いろいろ
|
Trackback
|
Comments(0)
1 |
ファン申請 |
||