2月21日。妻がせがむので猫ドアをつけた。
短い雪国の旅から帰るとテーブルに置いてある。はやくつけろはやくつけろと煩い。それぐらいのことは自分でもできるだろうと思うが、はなからやる気がない。
安普請の家なのでドアは軽い。この頃のだからかどうなのか、上に持ち上げるだけで蝶番からはずせる構造になっている。ドアを外して床に置いてドリルでガンガン穴を空けてノコギリで四角い穴をほじる。と、計画したが、ノコギリを登場させるほどの事はなかった。カッターナイフでかるがると穴を切り抜くことができる。合板でもなくてなんだか厚紙のような素材。
刑事が靴で蹴り込むだけで簡単に穴が開くだろうし、怪我をすることはないだろう。これは親切設計といえるかもしれないねえ。
しかし、ドアのなかが中空。断熱素材とか防音素材とか、な〜〜〜にも入ってない。悲しいね。
サイズびったしに穴を切り抜いて、あんまりに弱々しいので内側に少し補強をして、猫ドアを装着。かれこれ2週間経つけれども、出入りできるのはリクドウとミノルのみ。ハルはかちゃかちゃやるばかりでちっとも開けられない。アキツケはまるでそれに興味が無いらしい。コトブキは、部屋から出たくない猫なので、まるで関せずというかんじ。
ドアをぴったり閉じるための磁石がちょっと強いのだろうと思う。いつか改善してやろう。
冒頭の言葉を変えてみた。「狭い特殊のなかの〜」は澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』の言葉。
ぼくの「不偏」など彼の「特殊」の小指の先にも足らないとは思うけれども、とにかく似たようなことを感じて1980年代後半にバイクを手に入れて外に出た。単気筒エンジンの力漲る脈動に熱中した。
魔術だの神秘学だのデカダンスだの舶来のマニエリズムだのアナクロニズムだのに熱中していたある日、その世界が監獄のような小島のように思え辟易しちゃったんだね。いざ外界に出てみると、いかに自分のスタイルが矮小で根っこのないものだったかを知らしめられた。そして外にも神秘や異趣・異端が溢れていることに気がついた。
今の自分が別の世界を見いだせたとは思わない。でも、最近発見した澁澤龍彦氏のこの言葉に、なんとなく自分を肯定して貰ってるような感じがして、自分勝手にちょっと嬉しいのよん。あくまで他人にゃ関係ない個人的な話。
春 闇 の き た か ま く ら 次 で 降 り や ふ
公開するほどでもない話ですから、個人的なメモとして。