CD用の棚の塗装が乾いたので、配置してみた。配置してものを並べてみました。すっきり!片づくと思いましたが、今まで平積みにしてあったものが棚置きになっただけで量的には何も替わらず。よって段ボールの中のCDは未だ段ボールの中。
そういうものだね。
せっかくの日曜なのに時計を見間違えて1時間も早起きしてしまうと、浜などで時間をつぶさなくてはいられなくなります。するとなにやら膨らんだ植物などに興味をもったりしちゃいますね。誰でもみんな。
日曜ということで早朝からサーファーが遊んでいる。楽しいかどうかわからないが、楽しそうに見えてくる。プカプカ波を待って、ここぞとばかりに浜辺目指して両腕でこぎ始める。波の勢いを捕まえたと見るや、のん、と板に立ち上がる。どういう自慢かわかりませんが、巧い人になると板の上を歩いたりもする。今ひとつな人は、勢いに乗れずに砕けた波に取り残されてなんとなくまた沖に戻っていく。
こういった風景を日々見ていると、胸の中に波乗りという波がうねり始める。おーおーなんだかやってみたくなってきた。そういう何かが盛り上がってきて、道をくぐって家に戻るところに
オーーーオーーーと力の漲った声が聞こえる。
大きな鴉!と思ったら雲水が托鉢して廻っている。どこの禅寺だろう?鎌倉時代にには重源から造東大寺を引き継いだ栄西という僧が禅宗を広めた。托鉢僧などいままでNHKの永平寺のドキュメンタリーか、銀座の街角でしか見たことがなかったから新鮮な驚きがある。
カメラをぶら下げた人と出会うのはなんとなく恥ずかしいので、ぼくはたいてい上着の下に隠しています。レンズも大きなものは付けません。夕方の散歩で、或るポイントに沢山の写真趣味の方々。オレとおまえは違うのだ。同じになりたくないのは相身互いだよね。
小坪と材木座のさかいめ辺りにちょっとした磯を発見しました。が満ち潮で蟹を発見できず。また来よう。
ついでに「この先行き止まり」とくどいほど看板の出ている急坂を登って登って小坪の峠。こんなに上の方まで家が建てられている。絶景。条件が良ければ富士山と江ノ島と伊豆半島、材木座の海が一望。花火の日などは最高かも知れない。雲に梳かれた糸のような陽が海に射している。
以前しらす丼を食べたゆうき食堂でかなり遅い昼ご飯。「あじの刺身定食」を頼んだら、身の厚い半身に切り目を入れたのが三枚出てきた。温泉たまごと納豆付きというのもうれしい。これでたったの880円。
日頃「味のわからぬ」と主張している(カフカの『断食芸人』の気持ちにも近い?)ぼくです。微妙に美味いものはわからなくても、格段に美味いものはなんとなくわかる。それはこれ。全国のあじ好きの皆さんはとうにご存じのことと思いますが、これ
ムチャムチャ美味い。
とぼとぼ歩いて帰る道。もうちょっとで雲から落っこちそうになっている太陽が落ちるのを磯のところで待った。水平線よりちょっとだけ浮いた雲の下にオレンジ色のオーラが充填される。ぐんぐん圧縮されて雲の下側が金色のふちどりを帯びるとドサッと落ちてくる夕焼けだ。世界で最も大きい線香花火。
こんな時誰もが思う。あんなに真っ赤っかなものが落ちて、なぜ朝になると海は青いままなんだ?
なぜ熱くならないんだ?