旅行のことばかり書いていて、普通のブログのやり方を忘れちゃった。
うちのボロ家より一足先にN氏の十数年住んだ借家が解体された。思い出は人の頭の中にあるものだけれども、家の柱や、小指をぶつけた角っこや、ガタつくガラス窓のさんに染みこんでもいるのだろう。こうしたことは幻想ではない。匂いや、毎日繰り返される音や、夜になると灯る電灯の影などによって、家中のあらゆる場所に焼き付けられているものなのだ。
それもこれも秋の空の下、幼稚園色の重機でもってぺちゃぺちゃペチャンコ。
最近、宣伝しているスキヤキ・ウエスタン「ジャンゴ」の歌を北島三郎が歌っている。コブシがいい。久々にというか、はじめての体験になるけれども、演歌を買ってみようかな。itunes shopで売ってるかな?
うちの仕事場の窓を開けると、向こうというほど遠くないところに隣の窓がある。隣というのはもう廃墟になっていて、北側の窓がふたつばかり落っこちている。先日の台風で崩壊するだろうと思っていたが、案外大丈夫だった。
それよりも、屋根の雨樋から雨がこぼれてきて、軒に当たって瀧のように流れ落ちる。
いうなれば瀧の内側で仕事をしている気分です。マイナスイオンが出ていて、やばいくらいに仕事が進む。そう思えますか?
実際、トタンの軒に雨の落ちる音は尋常でないくらいやかましいです。退屈しはじめた80人ぐらいのオカマさんが、一斉に苦情を言い始めたような感じです。
せっかく外に出たのに、探索とかせずに玄関前でゴロゴロするだけ。欲のない猫。いや欲はあるけれどもとことんやりたいようにやるだけの猫。大儲けしたり、大活躍したりしなくても、やりたいことをやるってことはできうるんだね。猫みてなごむなんてなんだか爺くせえかな。