あがた森魚のアルバム「君のこと好きなんだ」には名曲がたくさんあります。名曲というかただぼくが好きなだけかも知れませんがね、でへへ。
その名曲のひとつ、「一寸(ちょっと)そこまで」は、少年の、世界と宇宙への旅行への憧れが描かれています。そんなこととは関係あるかないか、20光年ほど先に水が有るかも知れない惑星が発見されたそうです。人が住めるかも知れない星ですよ。そんな星があるならば、すでにその進化と同時に何物かが住んでいてもおかしくないですよね。
朝起きて、レスポールが部屋に立ててあるのを見ると、なんだか違和感を感じます。その部分だけちょっとお金持ちっぽい。ゴージャスなものを近くに置かないようにしてきた我が生活ですが、この外見は紛れもなくゴージャス。質素で簡素、地味で安っぽい、世に憚らない、傲らないという我が趣味の世界から幾分はみ出てるかも?
やっぱり、黒か葡萄色にしておけば良かったなぁ〜…などとは思わないのがGold Topのもう一つの側面、ゲテモノ感です。いいでしょ。これが良かったんだもん。
もう三日とか四日とか弾いていて少し思うことがあります。
ネット情報では「極太ネック」云々と書かれていましたが、フト握ってみると全然太くない。57年モデルは太くないのかな?太いのはP-90がついた56年モデルとかなんでしょか?握ったときに、親指と人差し指の間の河童のひれにグッとくるのが快感なのですが、それがないもんね。
まあそんなこと別にどうでもいい話ですけどね。
ボディの裏面が明るい塗装だと思っていましたが、どうもダークバックに見える。『ダークバックは稀少だから云々』『ライトバックは木材がよいから云々』。ネット上のライトバックの写真は、ぼくの買った物よりずっと明るいように思えます。あれれれ?と思ってダークバックの写真を見ると、なお暗いんです。よってどっちなのかよくわかりましぇん。
ま、これもどうでもいい話です。
肝心なことがひとつ。レスポールっちゅうのは、澄み切った伸びやかな音が出ない。
「ちょっとまて、弾き方がなってないんだ。」とか
「おめえのレスポールがはずれだったんだ」とかご意見有りましょう。それはそうかもしれません。
「調整ができてない。」のかもしれないし「ビンテージは違うんだぜ」とか。とかとか。
これから別の側面や、深いところを知っていくとしても、アコースティックな感じはテレキャスターやストラトの方が断然有るような気がするんです。ねじ止めのネックでも恐るべきサスティンはあるし。で、レスポールが悪いかというとそういうことではなくて、まったく気に入っちゃってて夜中まで膝に乗っかっている。
ぼくの買った個体はそれほど軽い方ではないのでどうしてもボディに重心が傾いてしまいます。レスポールのくびれはちょっと上の方にあるので、座って弾いているとバランスが採りにくい。ネックを押さえてないと上を向いてしまう。ロバート・フィリップ先生のLPは軽いのかなあ?
ストラトは軽いし、くびれもちょうどいいところにある。加えてコンター(脇腹に当たる部分のえぐり)もあるので抱えていてもほとんど負担がない。よく考えてあるんだねえ。たいしたもんだ。
くやしいけどスケールは、YAMAHAに慣れていたぼくには、短いギブソンの方が弾きやすい。それにPignoseの様なアンプで弾いてもレスポールは「同じ音で鳴る」(ような気がする)。
まあ、今のところそんなことなど思いました。ストラトのフィエスタレッドの風景も好きだけど、ゴールドトップの風景もいいねえ。なんだか、そこだけ「お金持ちっぽい」オーラが漂うんだ。ぼくとは関係ないオーラが。