ブログの廃墟が時折見られるようになった。うち捨てられた破れ障子のブログの空き家。
どういう理由があったのか急にいなくなって帰ってこない。更新しない。他の連絡先を知らない縁の薄いストレンジャーとしてのぼくらは、家財道具置きっぱなしの空き家に入り込む。なんとなく人がいた気配がある。とか、ここはもうずいぶん空き家になったままだとか、なんとなし空想してみる。
小学校以来の友人のブログがもう2ヶ月くらい更新されていない。大学を出てから疎遠になっていて、ぼくは東京、彼は大阪でメイメイ山羊のような暮らしをしはじめた。たまに会えば昔と変わらぬ口調で話し合えるのですが、離れればほとんど無音無連絡。まあ友だちというのはそういうもんかもしれない。また、友だちと思ってるのは自分の方だけかもしれない。寂寥寂寥。
約10年来、「ネット上で日記を更新し続けてきた!」というのが彼の業のひとつだっただけに、ちょっと心配でもある。ひょっとして中性子爆弾が破裂したのか?
栃木県の足尾の奥に入っていくと、渓流沿い、細い道の脇に雛壇状に造成されていた痕跡が延々とあります。夏の真っ盛りに行ったので、はばかることなく勢い草が萌え木が茂り、荒れた地盤に容赦のない太陽が照りつけていました。時の流れが洗ってはいるけれども、微かに人の営みが感じられる藪のような場所。
江戸時代に発見され昭和40年代まで鉱山として栄えたこの土地は、一時期、栃木県内で宇都宮に次ぐ人口があったそうです。今は草木に覆われて、夜になると清流の流れる音、星たちの会話、カモシカのいななき。鉱山住宅跡に行くと少し残ってはいますが、ほとんどの住居跡は家のかけらもなくただ造成された土の名残のみとどめるばかりです。
鉱山の資料に、集会の写真があった。まるで「シャイニング」のエンディングのパーティーの写真のよう。お正月だろうか?神社に人が集って賑わい、祝いあい、この栄華が永久に続くかのように笑っている。この人たちや、家族や、子供たちはどこへ帰ったのだろう。
ブログの主人はいついなくなるのだろう。
大山昇太(男おいどん)のいなくなったアパートの四畳半には誰か住んだのだろうか?