九月に入ったと思ったらあっという間に12日。
昨日は11日。ニューヨークの飛行機テロのあった日。東北に津波の来た日から3年と半年の日。スーパームーンじゃない月が忘れられた日。平凡な日は忘れられる。平凡な人もだいたいそういう感じだ。平凡なアゲハチョウが側溝の蓋の上に落ちて死んでいた。それに気がついてしまった平凡な男の平凡なブログにようこそ。
やあ! ひさしぶり。
関わりのない人からは注目を浴びないありふれた人々も、関わりのある人からは大切な人だ。それを忘れて、自分が特殊だと思い込んでもありふれた人はありふれた人なのだ。無理をして認められたいと思った結果の代表がオウム真理教だと思っている。彼らはなにひとつ特別な人たちではなかった。平凡を受け入れられない凡庸さが行動をエスカレートさせてしまったのだ。
うちは特別。この子は特別。おれたちは特別。やれやれうざいったらない。
ああこんなことを書く予定じゃなかった。散歩の清々しい空気と急に降り始めた雨のことを書くつもりだったよ。ありふれた男のつまらない考察。
誰も意に介すことはないだろう。それでいいのだ。
たまたま読んだ本に書いてあった一行。ネットで検索してはじめて見たような一行。それをあたかもオレだけが知ってしまった「世界の秘密」とかんちがいして思想の核にし、新たな発見のごとく吹聴している君! それはもうだれかが辿り着いていた場所なのだ。前に誰かが歩いた後をなぞっているだけなのに自分が道の先頭にいて荒れ地を見ているような幻想を抱いている。世界中にある無数の道のほんの端切れをうろついているだけなのに偉ぶって弱いものを叩く。恐ろしく愚かな凡庸さ。
ああこわいこわい。
忘れてはならない過去のこと。忘却が彼らをのさばらせる。こわいこわい。
歴史を書きかえながら彼らが行進してくる。こわいこわい。