もう一寸前のことになっちゃったけど、富士山の西ッかわ、朝霧高原というところへ行った。ブログのカテゴリを「旅行」にしたけれども、旅行と云うほど大げさなお出掛けではない。ただの日帰り。目的はフェスでした。
フェスには黒色すみれが出るし、その黒色すみれの片棒、サチは翌日が誕生日というのでな〜にかプレゼントを、と思ったがなんにも用意していない。う〜〜むと悩んで朝のうちに柿田川に寄って水を汲んで持って行った。
ただの水だけど昔テレビで聴いた話ではおおよそ60年ほど前に富士に降った雨が濾過されて濾過されて濾過されて涌き出てきているらしい水。
最初に来たのは1985年ぐらい。ラフォーレかなにかで流す環境ビデオ用の映像を撮影しに来た。曲はサティの「ジムノペディ」を勝手に使った。後半の映像は脈絡無く鎌倉の由比ヶ浜で撮影した。その頃は、鎌倉に住むことになろうとは思ってもみなかった。
それから十年ぐらい前に来て以来三回目。国道1号線のすぐ脇。昔は排ガスでモクモク。住宅とショッピングセンター、工場があちこちにあるような平凡な郊外風景のなかにこんもりと森が立ち上がっている。森の中に入っていくと突然そこから川が流れている。まるでそこから涌き出ているように涌き出ている。
昔は、製紙会社が水をどんどん汲み上げるので水量が減って枯れかけたという話を聞いたが、この頃は近隣の方々とその製紙会社も一緒になって保護活動をやっていると云う話を聴いたような気がする。
とにかく外来の一般は水を触ることはできない。展望台のようなところから「ああ、きれいだ」とか言いながら感心するしかない。水が汲めるのは売店の前の人工の泉から。というわけでその売店で空のペットボトルを購入して、泉で水を汲み栓をして持って行った。
ああ、あんなに青いところで泳げたら気持ちがいいだろうなぁ。
幕末の大村益次郎という軍師は豆腐が大変好きだったらしい。戊辰戦争で上野の山をアームストロング砲で爆撃して彰義隊を壊滅状態に追い込んだ後、戦闘で手柄を立てた味方を呼んで褒美を与えた話がある。その褒美が豆腐だったというので怒って帰っちゃった人もあったという。ただ豆腐と云っても、早朝に自ら出向いて一番うまいというやつを買ってくる、というなんというかそういう(けちんぼなりの?)心の込め方をしていたのだな。そうした心の機微や風流心など朴念仁にはなかなかわからないものだものね。
彼にはそういう風流心はあっても、上野で爆死、討ち死にした幕軍の死体を(一週間だったかな?)片づけてはならないと非情な命令を下したらしい。(うろ覚えのこの話、正確かどうかは保証しない。他言するなら自分で先に調べてからにしてね。)
ぼくが水を汲んで持って行ったのは、それほど大げさな話じゃない。だけどもこっちが恐縮するほど喜んでくれた。アッチョンブリケー!!!
この季節は、新緑が瑞々しくて本当にきれいだが、この柿田川の水を飲んで育つ森からはなんだか賑やかな笑い声が聞こえてくるようだ。ね。