『明治座 十一月花形歌舞伎』
『天竺徳兵衛新噺(てんじくとくべえいまようばなし)』を観て来た。
蟇の妖術使いは『仮面の忍者 赤影』で見て以来憧れの的だった。サーカスの像使いやネッシーの頭の上でブーメランを飛ばす『怪獣王子』のタケルよりも金目教の甲賀幻妖斉だった。「ガマ」といういかにも毒々しい音をもつ巨大な怪物の恐ろしさは、近所の池で蛙釣りをする少年に呪いかかった。それは「恐いもの見たさ」のような一種のエロティシズムとアナクロニズムの融合状態みたいなもので、暗がりの中から現れる妖怪に常に魅了され憧れるようになった。
〜時は40年ほど流れ〜
市川亀治郞のテレビ番組で、蟇の上に乗るシーンが少し映っていて「あれれ?」と思っていたら、かねてより亀治郞の嫁になりたいと公言していた乙女より「天竺徳兵衛」のチケットを取るという連絡があり慌ててお願いした。
亀治郞は正月に淺草で観たときと名前が改められて「市川猿之助」を襲名していた。
芝居は最高だった。蟇妖術サイコー。
芝居の世界では浮世とあの世の扉が開いていて、いつでも怪物の出現を予感させる。文楽を観てもその境目は蚊帳よりも薄く幽霊もほとんど自在に現れては消える。暗闇の奥行きは無限で魑魅魍魎幽霊物の怪どもが跳梁跋扈しているのだ。舞台の書き割りのすぐ裏側にそうした雰囲気がプンプンになまあたたかく漂っている。
空中に浮かんだ葛籠の中から葛籠を担いだ白装束の徳兵衛が現れ宙乗りで去っていくシーン。
ぼくの空想は徳兵衛が担いだ葛籠の中から再び徳兵衛を現れさせ、またその背中の葛籠から徳兵衛が現れ、またまた現れ、さらにまたまた現れという永遠に繰り返す螺旋の構造を遊びはじめる。
幽霊と悪女房の、目が廻るような早さで何度も繰り返す早変わりの続きのように。もうそうなると面白くってしょうがない。
花道近くで観たので、すぐそこで見得を切りまくる猿之助もすっかり好きになってしまった。
おもだかや!
終わって淺草へ。
三ノ輪に住んでいたときにちょくちょく行った「豚八」が店を閉じていた。店に着くまで「今日はトンパチライスにしよう。」とか「コロッケがうまいのだ。」などと散々逡巡しつつ行って、いざショウケースの見本を見ると「やっぱり牛ニンニク焼きにしよう。」とか、何度も同じような事を繰り返した。
朝4時までやっていたので、麻雀で遊んだりした後頻繁に利用した。給仕のおばさんたちが夜中もとても明るくていつも元気をもらった。淺草で公演中の旅の一座が打ち上げをしていたり結構繁盛しているように思えた。どういった経緯からかは知らないけれどとにかく残念。非常にさびしい。