もうおとといになるのかな?
ポカポカで天気が良かったのでお昼ご飯もかねて散歩に出た。
浜でわかめを拾う人など見るとなんだか羨ましい。メカブなども落ちているけれど、三月になると虫が出るからよくないらしい。そこんとこ実際どうなんだろう。帰りには丸七商店街で葉山産メカブを買った。
由比ヶ浜にもう一個公衆トイレを作っていた。これは去年FIATカフェがあった辺りか?そこから長谷の方に入っていくと、いつも並んでいる旧家風のそば屋があり、その日は並んでなかったのでチャンスだったけれども、通り過ぎて目的のHANABIでラーメンを食べた。倒れた大銀杏がどうなっているのか気になったので、再び見に行ってみることにした。
途中、表に富士型の鉄瓶の出ている古道具屋に釣られて入ってみたら、奥からひとついいやつを出してきてくれたのでそれを購入。なんでもこの頃は中国からの観光客が鉄瓶やら銀の小物やら全部買って行ってしまうので、「いいのは奥にしまっておく」と、言っていた。
しかし、うっかり奥から出して貰った物を買ってしまったが、実は表にあった富士型が気に入ったのではなかったか?と、帰ってから思い悩んでいる。アレも次に行ったときに残っていたら、買ってしまいそう……。しかし春になってもうストーブも出番が少ないのにふたつにしてどうなる?
鶴岡八幡宮に近づいて社殿を眺めたとき、銀杏が左の庇を隠していないのは、さっぱりしすぎてさびしい。
倒れた大銀杏の方からは、チェーンソウの暴力的な音が唸り続けている。肝心の大樹は白い幕で隠されているし、何をやっているか見えそうな場所には人は入れないようになっている。日本はいつもこう。大衆はたいてい蚊帳の外。関係者だけ優遇は日本の決まり。
係の男の声で「そこの若い人、入らないで下さい。入ると○○○○す。入らないで下さい。」と、やたらにかまびすしい。○○のところはよく聞こえなかった。なんだろう?気になる。日本の決まりの根底に潜む物を聞き逃した。
かくして大衆は、肝心な事実の進行中の現場からは常に遠ざけられる。見えない幕の奥でガオガオと、きざまれていく銀杏からドバドバと見えない血潮が飛び散り、断末魔が周辺を震わせているような妄想が湧いてきて恐かった。
こういうときにチェーンソウでいいのか?宮司がいいというのだからいいのだろう?
この頃は、ホームセンターでも売ってるし、パパもママも使うけどチェーンソウって、なんか木がかわいそうな感じを受けてしまう。
まあとにかく、新しい根がつくといい。人類が残っているかどうかわからないけど、1000年後に立派な姿を見せて欲しいものだ。「百年たったらもどっておいで、その意味わかる」と言ったのは寺山修司。千年たつなら十回戻ってこられる。なんやブツブツ。