オリンピックが始まった。
「ふん、そんなもん見てたまるか。」とか思う。けれども終わる頃にはナニヤカヤいつもけっこう見ている。ナニをそんなに拗ねるところがあるのか知らないけれど、なぜか反抗的になってしまう。反抗的になってみても、あっちは巨大な営利組織で、莫大な収益を上げながら粛々とパーティーを進めるだけだ。ヘソを曲げている方が損というもの。それになにしろちょぼくれたオッサンにたいして悪意などだく隙などありません。
そのような得体の知れない営利団体に国を挙げてお金を出し合い、お偉いさんが笑顔で集まるというのも変な話とは思う。長野ではひどい赤字になったというのに。「選手こそ主役」をもっと貫いたらと思う。
変なズボンの履き方(腰パン)の青年だって、なにも協会(連盟?)が出すの出さんの言うほどのことか?
外見は大船あたりに沢山いるのと同じただの田舎くさい青年。「普通のことが出来ない弱さ」のある人に、よってたかってボウボウ言う無神経。みんなで謝れとか、圧力かけるからああいう謝り方になる気持ちが良くわかる。競技では「普通のことができない強さ」を見せてもらいたいものです。
その田舎くさい青年が、開会式に出られなかった?のかしらん?選手を開会式に出さないってどういう権力なの?競技には出ろと?相撲部屋か?そんなところの利権はどんどん仕分けした方がいい。威張るオヤジの金づるをやるような税金はないはずでしょう?
選手育成には別の直接的な良い方法があるはず。芸術分野でも科学分野でもなんでもそういうことだと思う。いちいちナントカ協会会長とか理事長がいなくてもいい話でしょ?
気恥ずかしい開会式は見なかった。聖火など普通に点けたらいいのではないか?しかし入場行進を見るのは楽しい。入場口でずっと踊っている白いお愛想ダンスの人たちも好もしかった。
さて、世界中の選手を応援しよう。