14日は日曜日。午前10時は駅もガラガラ。JR天王寺から近鉄あべの橋への道はよく歩いた、というのに迷った。よく歩いていたのは30年前なので変わって当たり前か。mossバーガーで朝食を買ってお土産にした。
大阪と奈良の境目にある二上山の麓、当麻寺町の友人のN氏宅につくと眠れていない疲れがど〜んと出てきた。バーガーを食べてひと息ついて「飛鳥」に出かけた。車でおおよそ30分。飛鳥にある木工所に通っていたとかで裏道を知り尽くしている。
あっという間に石舞台。最近CMをやっているから混んでいるかと思ったら空いていた。
大学時代に1年先輩のN氏たちは石の上に乗って撮ったすてきな写真を見せてくれたので、ぼくもと思って行ったら柵やら管理がされていて怒られたのだった。32年ほど前は放置状態だったらしい。
暑い。この飛鳥という土地はなだらかな西向きの斜面になっていて日当たりがとても良い。太陽光の受け流し方がゆるい感じがするけれども、逃げ場が無くて暑い。それから橘寺へ行った。
橘寺は聖徳太子の生まれたところなので「じゃあ日本の仏教発祥の地だ」などと言っていたら実際『大日本仏教最初之地』というようなことが書いてあった。御朱印帳を持ってこなかったことが悔やまれた。が、自分のお数珠を持っていないのでここで購入。仏教最初之地であるならいかなる宗派の仏教であっても、根本はここなのだから共通で使えるだろう、と思ってのことだが紙袋にははっきり「天台宗」と書かれてあった。天台宗専用ということだと困るなぁ。貧乏人なので貴族向けの宗教は困る。
聖徳太子は推古天皇の仰せにより、勝鬘経(しょうまんきょう)を3日間にわたりご講讃になられました。その時、太子の冠から日月星の光が輝いたと伝えられています。他ブログからの引用文。その日月星の光とこの石がどう結びついているのかわかりませんが三光石という。後ろに梵字の「阿」の形をかたどった阿字池。写真では雰囲気が出ないけれども橘寺の中でもっとも密度が濃いところに思う。特に池はとても良いように思った。
有名な二面石。ひとつの石に善と悪の顔があるという教えは仏教でいいのかしらん?
景教の影響はないのかしらん?
亀石は30年前に見たときより二回り大きくなっていた。あんまり大きいので写真に入りきらなかった。
夕方から大阪のデザイナーY氏の案内で鍋を食べに行くことになっていたので、急いで戻って阿倍野をうろつく。思ったより時間が余ったので予てより知ったるジャズ喫茶に行こうと思ったらどこだかわからなかった。その代わりに広大な更地を発見。
梅田に続き天王寺にもこんなに広い土地があったのか?昔餃子を食べた眠眠や王将はどこだったんだろう?かわりに高級ブランドのビルが建っている。ぼくの知っていたあべの橋とはコンセプトが違ってしまって、お金持ち寄りにシフトしたようだ。
若い女性がほぼ全員、黒いモモヒキをはいて歩いているのが気持ち悪い。
「百番」という名前は大学時代にもよく聞いた。コンパでよく使われていたのではないか?そこと同じかどうかぼくは行ったことがないのでよくわからない。「飛田」という土地は阿倍野から一段低くなっていて、建ちならぶ阿倍野の高層マンションから見下ろされる格好になっている。
昔遊郭で、今もほぼまるっと遊郭が残っている。ずらり同じ規格の二階屋で一階の半間ほどの間口を開けて正面に照明を当てた艶めくおねえさんが座っていて、横に呼び込みの女中が鏡で通りを見張っている。
Y氏が「写真を撮ってはいけない」と注意してくれていたので、そういう通りはこそこそ横目で覗く程度で通り過ぎた。たこ焼き屋さんに「写真を撮っていたのが目の前でつぶされるのを見た」と聞きさらにビビった。
ぼくたち以外に客が一組あったばかりでほとんどの客室が空室だったけれども、他の部屋から魑魅魍魎どもの賑やかな宴が聞こえてきそうな雰囲気で満ちていた。見学のために開けたどの部屋も静まりかえってはいたけれど、今まで何かがそこにいたような気配が残っている。たくさんの人の情や念の染みついたまま古ぼけた、そういう感じのする面白いところだった。