猛烈に仕事の稼働中なはずだったけれども、途中何もすることがなくなりわずか30分程度散歩に出た。ただ散歩というのも芸がないので、いつものようにカメラを持って出た。いつものようにカメラを持つと、いっそう芸がなくなってしまうのはいたしかたない。
光明寺に行くと、三脚を立てた重そうな機材の方達で寺の境内が賑わっている。なんとなく他人と同じ行動、カメラを構えるのが恥ずかしい。
そろそろ餌の人が来る時間?かと、主の猫たちもそわそわしはじめる時間。
いつものように材木座を滑川まで往復。行きに落ちていた軟式野球のボール、帰りにもあったら持って帰ろうと思った。
滑川では今日もナメちゃんが餌取りに余念がない。しばらく観察してから渚を戻るとボールがまだあったので持って帰った。
ボールを手に持つなど何年ぶりだろう?ただ持つだけで緊張する。
歩きながら道に弾ませて受け取る。道に弾ませて受け取る。道に弾ませて受け取る。
こんなことだけで日常には無いダイナミズムを感じる。面白い。だんだん慣れてくると変化を付けたくなる。人とはそうやって徐々に複雑の中に足を踏み入れ、楽しみを見つけるのだ。
なにかにつけ「面倒」を旗印に、怠惰になったり省略したり機械に任せきりにしすぎないようにしようなどと、その時は思わなかった。たった今ご都合主義的に考えた。