昨年から、芸能の神様へのお参りをする友だちの輪に混じって江ノ島に詣でている。
島へ渡る橋を歩くと、竜宮城のモデルのような中腹の山門(?)が近づいて来る。橋で繋がった小さな島ではあるけれども異界は異界である。最近の温泉施設のつまらない外観ともうひとつ大きな鉄筋の建物が、珍奇趣味アナクロ物産店世界を隠してしまっていて残念な感じがする。
しかしひとつめの鳥居を過ぎてしまうと、細い上り坂の道に急に人があふれている。みやげもの屋の奇妙に懐かしい時間世界に包まれた路地が延び縮みしている。うっかりすると伸びた時にできる隙間に落っこちて戻れなくなってしまったりしそうな不思議な感じが楽しい。いろんなところで失踪蒸発してしまった人が混ざってこんなに混み合っているのではないかという白日夢のようでもある。
浅草寺でも、いまではどこでもそうなのか?きれいに二列に並んでお賽銭を投げる。ぼくは照れくさいので二礼二拍一礼など丁寧にはやらず、二回パンパンとやって「アレコレよろしく」でおしまい。
この頃は神社で柏手を打たない人が少なからずいるのに少々戸惑う。先日、五所神社では三拍手している人がいたが、あそこではそれが決まりなのかも知れない。宇佐神宮では四拍手と書いてあった。特殊な場合は知らないけれども、パンパンやったほうがなんか晴れるような感じで気分がよろしかろ?
八方睨みの亀というらしい。島の山の上の山門の天井に描かれてあるが、「作・酒井抱一」らしい。本物ならすぐ盗まれるのじゃないか?かっこいいので革のキーホルダーを買った。
なぜか昨年と同じ眺めのいい店で食事をして水族館へ。
はじめての江ノ島水族館。ぼくのなじみは古〜〜い上野動物園のジメジメ湿った水族館だけなのでずいぶん雰囲気は違う。とはいえ最近読んだ漫画「海獣の王」の舞台になっているのでなんとなく知っている感じもあった。
いるかショーを観た。テレビでよく見たりするけれども、実物を見るとまったく受ける感じが違う。どんなに大きなテレビでも、おおきな生物の持つ躍動感や生命力はこれほど伝わらないだろう。力の漲った全身の筋肉が水中で推進力を発揮するさまは「どうだい、オレも彼の種類のつながりのひとつなんだぜ!」と誇りたくなるほどのものなのだ。
いるかプールの間際で観たけれども、びちゃびちゃ水をかけられなくて良かった。
くらげはどうやって動いているのかよくわからないのに、なぜあんなに早く扇げるのだろう?もつれ合った細長く美しい触手だか足だかわからないアレはほどくことが出来るのだろうか?絡まっちゃって、イライラしたり癇癪起こしたりしないんだろうか?
などなど、水族館ではいろいろと哲学的な思考と原初からの歴史との地続きな感じに目眩しくらくらしたのだった。「どこが?」とも言われるが…