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![]() ![]() ここチボリではあらゆる顔から水が流れる。ある時は水路として。ある時は雨樋として、ある時は噴水として。顔もふたつと同じものはない。静かな庭園だけれども、顔が沢山あると妙に賑やかな感じがしてくる。賑やかどころかなんだかうるさい感じもしてくる。顔というのは不思議なもの。 ![]() ![]() どこを歩いても噴水。チョロチョロと枯れかけていたりトントン流れていたり。 水の流れている顔は少し自慢げとも言える。 豊饒を司る古代ギリシア神アルテミス? ![]() 後に知った、というかつい一昨日くらいにNHKで見て知ったばかりだけど、このエステ荘の隣にハドリアヌス帝が133年に建てたアドリアナ荘(Villa Adriana)があるらしい。何かあるとは地図を見て知っていたが、この時は時間が無くて訪ねられなかった。噴水に気を取られていたんだな。今思うととても残念。 いつかもう一度いけるだろうか? ![]() これはスフィンクス。とにかくなんであれどこからでも水が噴き出している。裏側を考えるとそこら中にパイプか何かで水路を造ってあるって大変なことだ。よほどの数寄者エステ家。 日が傾いて、名残惜しくもヴィッラ・デ・エステを去る。明日はローマを発たなくてはならないと思うとさびしい。さびしいけれども仕方がない。すべてのことには終わりがある。 ![]() 帰りはバス。なぜならローマ行きバス停があるから。ラッキー。 バス停そばに市場風に果物などの露天商がにぎわっていた。はじめて見るオレンジ色の皮になんだか妙に赤みがしみ出ているような蜜柑があったのでいくつか購入。500リラぐらいだった。バスに乗って食べたら中から真っ赤な、まるでザクロのように、血のように赤い果汁。「うわ〜〜」と思ったけれどもその甘いこと。こんなにうまい蜜柑は食べたことがなかった。 今でこそブラッドオレンジという名でジュースが売っているけれども、この頃そんなのはぼくの見る日本にはなかった。びっくりした。 ![]() ローマに戻ってひと休み。ようやく胃の調子が戻ってきた。赤いオレンジのおかげかな? 夜は、なにかちゃんとしたイタリア〜ンなものを食べようということになって出かけた。夜に街を歩く。イタリアに来てはじめて。ヴェネツィアで暗い夜道をさまよったのを別にすれば。ローマは細かい路地がいっぱい。そのすべてに車がギュウギュウに停めてある。こんなふうに停めてどうやって出るんだろう?と思っていたらおばさんがやって見せてくれた。 エンジンをかけたらまず後ろの車をバックで押し下げて、それからハンドルを切って前進。簡単なことだった。( ;´Д`)。。。 それから街中「Senso Unico」の看板で溢れている。「センソ・ウニ子」、ウニ子だ、ここにもウニ子だ。とおもしろがって歩いた。グルメでない我々はレストランのガイドなど持っていないのでやみくもに歩き回った。 イタリアのレストラン、リストランテとかピッツェリアとかタベルナは日本のように景気のいい看板は出してないから遠目には探せない。あまり行きつけてないのにれっきとしたイタリア料理屋に入ったら頼み方もわからないのでピザ屋にしようと云うことになった。 ![]() センソユニコ、センソユニコ、口癖になった。ひとつ暗い道を曲がってまあいいかと入ったのが「est! est!! est!!!」というお店。とてもアンティークなお店。多分どこの店に入ってもクラシック。呑ンべいがワイワイ。ただでさえイタリア人は声が大きいのに、それが壁に反響してやかましい。やかましいから紛れないように余計に声を張り上げる。そんなこんなでイタリアの夜は喜びや悲しみであふれかえる。ぼくはこっそり胃に優しそうなマルゲリータ。 ![]() 次の朝、便が早いため朝の五時ぐらいにホテルを出た。ホテルを出た途端になにやら怪しい車にやばそうなのが何人か乗って後をつけてくる。恐くなってすぐにホテルにとって返した。ガラスの入り口がすぐに施錠されていたので、ドンドン叩いた。叩いたが入れてくれない。ケチ! ようやくタクシーを呼んで貰って空港まで行った。最後恐かった。 この後、モスクワ乗り換えの飛行機。 イタリアの農協みたいな団体のツアーと一緒になった。搭乗した途端にめいめい勝手な席に座って陽気に大騒ぎ。あとからソ連人のツアーが乗ってきたが、イタリア人が勝手に席を占めているので、その隙間に座ることになっってしまった。長髪の文学青年風の暗いロシア人が隣で騒ぐイタリア人を迷惑そうにしている。飛び立つとすぐに酒宴になった。 イタリア人はシートベルトを外してうろつき回る。歌う。機内サービスのワインのお代わりをねだる。見てると愉しくて仕方がない。ロシア青年の後ろのイタリアおばさんが背もたれに手をかけて揺さぶりながら、前に座る知人と大声でゲラゲラ笑って話す。どうしてこの人たちは隣同士に座らなかったんだろう?ロシア青年はモスクワで下りるまでじっと我慢で本を読んでいた。 ![]() ローマに無事に戻って、ほぼ1時。また出かける仕度をしてホテルを出たものの午後から行く予定の「チボリ」にどうやって行ったらいいのかわからない。とりあえずテルミナ(駅)まで行った。 地図ではそれほど距離があるようには見えなかったので、きっとバスが出ているだろう?バス乗り場はいっぱいある。渋谷駅より多いと思う。そこでその辺の売店のおばさんに訊ねてみた。訊ねてみたけれどもイタリア語はダメだし、英語もダメ。身ぶり手ぶりでなんとか乗り場の番号を聞き出した。 ![]() 言われた番号の停車場にすでに来ていたバスに妄信的に乗り込んで発車オーライ♪乗り込むときに運ちゃんにも聴いたけれどもなんだか「????」な返事。行くのか行かないのかはっきりわからない。まあいいやなんとかなるぜゴーゴーゴー。とにかくイタリアの観光地は早仕舞いだから早く着いて欲しい。 いくつもバス停に止まるけれどもちっとも(たぶんチボリのある)山の方に行かない。というか左へ左へ曲がる。どちらかというと巡回ルート的。バス内の路線表を見てもちんぷんかんぷん。Tivoliはどこ? ![]() なんだか我慢ができなくなって下りた。住宅街。どこだかさっぱりわからない。先まで行ってもわかる確信がなかったので下りた。住宅街と云ってもやっぱり「こりゃあ二〜三百年は経っているぞ」的なアパート。 たまたまタクシーのたまり場があったので声をかけた。数人運ちゃんがいた中のおばさんが我々を乗せて走り出した。紙に書いて交渉したら、むこうにとって多分とても有意義な額をふっかけられた。が、こちらにしてみればお小遣いの範囲内だったので了解した。 走る走る、おばちゃんタクシーはベンツ。ベンツにははじめて乗った。 ![]() 途中渋滞にはまると、さも自分のせいではないと主張するようにやたらにクラクションを鳴らして大声で怒鳴りまくる。車が流れはじめると対向二車線しかない道のセンターラインの上を追い抜いていく。これは恐かった〜〜!こーーれーーは、恐かった。 おばちゃん頑張ったおかげでチボリ(Tivoli)にあるエステ荘(Villa d'Este)についた。此所にはなにがあるかというと噴水。何で知ったか知らないけれども(これも『ヨーロッパの乳房』に載っていたのかな?今持っていないからわからない。)とにかく噴水。 ![]() ![]() ボマルツォが怪物たちのユートピアだったのに対し、こちらは神話の世界?天使やギリシア神話をモチーフにしたものが多い。当たり前だけれども斜めに作られた物はひとつもなく、正対照な構造が多い。 お金持ちの趣味のグロッタもあったけれども、やはり修復中とか立ち入り不可で、よく見ることはできなかった。此所も人が少なかったのでセルフで写真など撮影。 ![]() ![]() 澁澤龍彦はこの公園に1970年10月27日に来ている。トリトンのように両足が蛇になっている(多分セイレーン)女神像の、ベンチになっている太もも部分に座っている彼の写真が好きで、ぼくはそれに憧れてわざわざ此処まで来たのだった。 いうなれば、ただのミーハー。そのベンチが見あたらない。 巨大なドングリ(実部分の高さ1メートル強)飾りのある広場に出ると、地元の人?が数人で剪定した枝の整理などをしていた。ここに来てはじめて見る人たち。 ![]() トボトボコソコソひとりで広場を歩いていく日本人をどう思っただろう。怪しいと思うよね。怪しいと思われながら広場の隅っこに金網で囲まれた一帯を発見。近寄ってみると目的のセイレーン。 幸いなことに金網が傷んで破れているところから入れそう。むむむ、しかし入ったら怒られそう。 ![]() 西洋人ならこういう時どうするか?大胆に入るに決まってる。じゃあ、というわけでぼくも入った。石像に触れるのはなんなので、立ったままセルフ写真を撮った。そうこうするうちにイタリア人に見つかって、なにやら大声で叫ぶのが聞こえる。よくわからない振りをしてさっさとその場を離れた。 しかし目的は遂げました。ヤッホォ〜! ![]() その後もセクシーなヴィーナス像との写真を撮ったりひとりで楽しく過ごした。 さて、すべて見終わってお名残惜しいが帰らなければならない。妻とは午後1時にホテルに戻る待ち合わせ。トボトボ歩いて受付の所に戻ると猫などはいたけれども、やはりタクシーの姿はない。券売所で「バスなどは来ないのか?」とメモに書いたり身ぶりで訊ねたら山の上の街へ行けと言われた。 仕方ない。山の上のボマルツォの街まで歩いた。疲れたのでバールを見つけて入った。 ![]() ヴェネツィア以来、胃がおかしくなっていたのがだいぶ治ってきて、甘い砂糖をまぶしたロールになったパンも買った。レジの横にはたいてい甘そうなパンが置いてある。パンを買いついでにマスターに尋ねた。 「タクシーは呼べますか?」 「呼べない。」 「バスはある?」 「どこまで行くの?」 「オルテ。」 「オルテ行きはない。」 「じゃあどこ行きがあるの?」 「此処にはバスは来ない。」 「え〜〜〜〜!!!!???」 バスの来ない町や村があるって考えたことがなかったオレ! 「え〜〜〜〜!!!」 「隣町まで行けばヴィテルボ行きのバスがある。」 「やった〜。隣町まで何キロ?」 「○○○○」 ぼくの質問が通じないのかもう何を言っているのか全然わからない。とにかくだいぶ遠そう。夕方までてくてく歩く想像。ここは山の上に立つ孤立した城壁都市。隣町などとても見えない。大体どっちに行ったらいいのかもわからない。さすがに凹んだ。こりゃあローマに帰るの夜かも〜( T д T; ) などなど、、、 ![]() しょげててもしょうがないのでとりあえずエスプレッソで落ち着いた。 隣には座って計算機をパチパチ押して帳面に一生懸命書き込んでいる青年。この店の会計をやってるのかしらんと見ていると、帳簿をパタッと閉じて仕事が終わったふう。こちらを向くと「オルテまで帰るからよかったら乗ってくか?」と言う。 渡りに神。グラッツィエ!グラッツィエ! 正面から見ると映画「サブウェイ」に出てた頃のクリストフ・ランベールのような容貌。うひゃーかっこいい。マスターが「良かったな」と言う。パンをパクパク食べて彼に付いていく。車はオンボロなルノー4。 ![]() 軽やかなエンジンノートをたてて太陽道路をひた走り、オルテにあっけなく戻ってきた。 本当に助かった。彼の名前はセルジオ。ブラボー、セルジオ。 ローマ行きの列車を待つ間、駅前のバールで接待してくれた。バールの主人とか仲間のオヤジやらなにやらワラワラ集まって来てワイワイガヤガヤ。言葉は何もわからないがこの人たち仕事はどうしたんだ?ひとりも英語は話せない。イタリア語オンリー。ぼくはイタリア語ゼロ。セルジオの名誉のために少し書いておくと「少しフランス語できる」らしい。それでもローマ行きの電車が来るまで楽しく過ごした。 ![]() 上の方に書いたボマルツォのバール主人との会話も、メモ帳に絵を描いたり身ぶりでの必死の会話。わかってるのかわかってないのか朦朧とした霧の中の山登りのごとき会話だった。当時はイタリアの田舎に行くとだ〜〜れも英語など話さないのだった。 この翌々年、再びイタリア旅行をして、オルテを訊ねた。セルジオの事務所まで行くと前にはなかった「RICOH」の看板がデカデカと掲げられていて、覗くとコピー機のようなのが何台も置いてあった。セルジオがいなかったので帰ろうと駅に向かっていると、正面からマフィアのようなおっさんが三人歩いてきてあっという間に取り囲まれた。 「んんん?」戸惑っていると、「オレはおまえを知っている!」と言って胸をつんつん突っつかれた。(この時は妻がイタリア語を習っていて訳してくれた。)オルテ駅前のバールの主人だった。喜びの再会?またバールに招かれて電車を待つうちにありがたいことにわざわざセルジオを呼んできてくれたので、日本から持ってきた日本酒とかのお礼の品を渡すことができた。めでたしめでたし。 ![]() どこまで書いたっけかな? とにかく陽気がよくて、他には誰もいないのでリラックス。楽しくてにやにやしながら歩き回った。どういうふうに廻ったか覚えてないけれども、なんとなく進んでいくと迷うこともなく自然に順路のように順番に見て回れた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 女神の顔はみな美しい。マンディアルグの本だかに、村の子供たちのおまじないの投石で鼻が欠損してしまったらしい。どの女神像も何かしら欠けてしまっている。けれども美貌というのは変わらないのだ。どこかで見た半分燃えてしまった観音像も見事なオーラを放っていたし。 ![]() ![]() ![]() ついに来た。みたいな気持ちでドキドキワクワク。 早く奥へ進みたい。どんどん歩いていっぱい見たい。という思いと同時に、すぐ見てしまってはもったいない、どれもこれもゆっくりと味わい、観察してしっかり頭の中と心に印象づけるのだ。ふたつの気持ちで身体が硬直しつつ歩いていく。 最初に狛犬のごときスフィンクス。赤い文字が彫られているだけで「おお〜〜」 まったく読めないけど、ひとりでキヤキヤと静かに大騒ぎ。 ![]() ![]() 花瓶の頭の男、女神? 「花瓶頭」と考えると怪物だけれども、彫像の上に植物を植えられるようにしただけなのかも。 ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマと観光してきて、どこで見る彫像も完璧で、力に漲り栄光に胸を張る輝かしい強さを持っていた。見る度に威圧されて少々疲れていたが、此処におわす怪物たちはまったく違う趣だった。 ![]() 寄るとこんな感じ。歯がすきっパで間が抜けている。脅かそうとしているのか呆れているのか、楽しくて笑えてくる。こんなに楽しい公園に誰もいないなんてどういう事なんだろう? ![]() コイツは少しゾクゾクした。股裂きの巨人。 ![]() 「世界亀」と名付けた象。世界を背中に乗せて移動するというような妄想。実際背中にあるのは女神像らしい。本によるとかつてはトランペットを吹く姿で、建造当時は水力を利用して音が鳴っていたらしい。笛を吹く女神像はすぐに東大寺の音声菩薩に結びついてしまう。 ![]() 此処にある彫像は、見るものを脅かし帰れと叫んでいる。秘密のユートピアを侵略してはならじと精一杯の虚勢を張っている。守るべき楽園のために通り一遍の威嚇を試みてはいるけれども、実は引っ込み思案のブランコ族のような怪獣に思えてくる。鉛筆の芯を折っただけで泣き出してしまいそうな心の優しさを感じる。 というのはただのぼくの思い込みかも知れないけれども、この公園にいると安らいでくる。 怪奇や驚愕があると、すぐにおどろおどろしい方向付けをするゴシック好きの強引な方もいるが、ここはやさしさとノスタルジアに満ちたユートピアを夢想する空間なのだと思う。 ![]()
あっと驚くような不思議に憧れて、
世界をさまよって歩く諸君よ、 ここへ来るがいい、恐ろしい顔や、 象や獅子や熊や鬼やドラゴンに会えるぞ。 A.P.ド.マンディアルグ『ボマルツォの怪物』(澁澤龍彦訳) ![]() ピエール・ド・マンディアルグの「ボマルツォの怪物」で有名な、というよりは澁澤龍彦「ヨーロッパの乳房」で有名なボマルツォ。日本中の澁澤ファンがみんなそうであるように、そここそぼくの今回もっとも行きたい場所だった。 本には「ローマの北」ぐらいにしか書いてなかったと思う。ヴィテルボ近郊とも書いてあったかな?今手元にないのでわからない。イタリア旅行の計画を立てるときに、地図で必死に探したが小さい村なのかほとんど出てない。執念でただ一枚載っている地図を見つけ赤い丸印をつけた。 明日やっと念願のその土地への旅なのだが、妻に行こうというと「行かない」のひと言だった。 あにはからんや。 * * * * * * * * * * * * ![]() ぐずぐずの雨がやんでピカピカの朝、ひとりで旅立った。ローマの濡れた石畳みがどれも喜んでいるように見えて眩しかった。早足でどこをどう歩いたかローマ駅について、オルテ(Orte)まで急行で向かった。 ![]() オルテ、思った通り小さな駅。出勤の人たちとすれ違いながら駅を出て、ためらうことなくタクシを頼んだ。イタリア語も英語もダメなのでメモに「Parco dei Bomarzo」と書いておいたのを見せた。 ブィ〜〜ン、走り出したはいいけれども、地図の縮尺から距離とかまったくつかめてなかったから、どれだけ走るのか、どれだけ運賃がかかるのか、ハラハラもんだった。ドキドキ。 そして車はアウストラーダを疾走し、田舎の道を小高い山向けて走った。 山の上に石垣を積んだ城壁都市ボマルツォ、そこへ入るかと思ったら中腹で分かれる道を下に降りていった。観光バスが何台も停まれるような広い駐車場でタクシを下りて料金を払った。案外安かったと思うけれども覚えてない。 帰りもよくわからないので「戻ってくるまで待っていてくれ」と身ぶり手ぶりで説明しわかってもらった。と思ったら、公演の受け付けで入場料を払っているうちに帰って行ってしまった。 あらららら。まあいいや。ポカポカ陽気。 ひとりっきり? ![]() パルコというのは公園のこと。ボマルツォの公園、、、う〜〜ん、、モストロとかモンストロとか怪物っぽいこと言った方が良かったのかな?不安になってきた。 ここどこ?タクシー帰っちゃったし。街は山の上。 ![]() む〜〜蒸気機関?ガラクタ?う〜〜むむむ〜〜〜。 ![]() え〜〜〜???どーーしよ〜〜。 とか思いながらトボトボ進んでいくとついに門に辿り着いた。
ローマに着いた日のこともほとんど覚えていない。写真を見ると雨だったことがわかる。しかし歩き回った。ホテルへ行くのにタクシーを使ったかどうかもよく覚えていない。
![]() 寝坊な我々はフィレンツェを出るのが遅くてローマには午後近くに着いたのだったと思う。ローマ駅でエスプレッソを一杯。チップに50リラの風変わりなコインを一枚置いた。 ![]() ホテルにチェックインして「さあイタリア、ローマの観光地といえばバチカンだ」とばかりにバチカン市国へ出かけた。ホテルから歩いていけた。 今地図を見てみると、周りにいっぱい観たいものがあってはかなくなってくる。当時はグーグルマップとか無くて、ほぼ紙一枚、日本にあるイタリア観光協会で貰ったイタリア語の観光マップを元にウロウロしていたのだ。 ![]() ![]() 同じ場所で前を写して後ろを写した。バチカンは日本で云えば東大寺か。円形広場の中央で空を突き刺すオベリスクと十字架。いい写真でしょ?昨日おととい写真のデータをHP用に小さくしたり色を整えたりしていたんだけれども、ふと思った。 「オレの写真て他のホームページで見る写真とまったく違ってる。」 それからもっと傲慢なことも。などなど。 ローマに来て、ベネツィアやフィレンツェで感じていたことがさらに強くなった。それは、此処の人たち、サイズを間違って造っちゃったんじゃないか?ということ。なにもかもでかい。でかすぎ。人と柱の縮尺、人と扉の大きさ、かな〜り異常な感じ。信仰のための神と人のレベル差なのだろうか? バチカンにはコンクリートが使ってある。たしか古代ローマの頃からこちらではコンクリートが使われている。コンクリートだから新建築なのではない。間違っているかも知れない。詳しく知りたい人はフィリッポ・ディ・セル・ブルネレスコのことなどを調べるとよいだろう。 とてつもなくでかい空間。下にこれもでかい四方の柱のねじくれた天蓋のついた祈祷用の壇がある。空間の中にかるがる置かれた空間、二重の空間がパンテオンをより大きく演出している。 東大寺の毘盧舎那仏を置いたら似合うだろうなぁ。それから大理石の布、すげえ。溜め息。 ![]() ![]() そしてバカは登らずにはいられない屋上への道。屋上とそのあたりから見るバチカン内部の俯瞰。落っこちる人いないんだろうか? ![]() ![]() 屋上からさらにパンテオンの上へと登る。これがまさに円球状の建造物の天井と屋根の間を思い知らされる歪んだ空間で、高所恐怖症の自分としては高さを想像するだに足腰がガクガク震えてくるのだった。このままどんどん空間が横向きになっていったらどうやって進めばいいんだ〜〜!?と恐怖におののきながら登った。 ![]() 頭上に圧力を感じて壁にもたれるようになる頃外に出られた。あ〜よかった。ホッとする。 ![]() ![]() イタリアはどこの街に行っても、どこに工場があるのかわからない。スーパーマーケットや百貨店もよくわからない。誇らしげなブティックが並んでいたりはするけれども、安い看板のファーストフードもよくわからない。同じ色の屋根が連なる美しさ。どこにカメラを向けても絵になる。 誰も彼も文化を受け継いでいるプライドを持っているように感じる。 ミケランジェロと同じように彫って誰が彼を越えられる?ダ・ビンチやラファエロと同じように描いて越えられるだろうか?越えられなければ違うやり方を考える。 そうして創られたそれは、かつての彼らの作品らと並べられるだろうか?そうしたことがモダンの価値観となっているのだろう。イタリアの車や文房具や家具やその他いろいろの美学はそういう価値観が根底にあるのではないだろうか? 京都を山から見たらビルと室外機と安い看板でいっぱい。屋根もクソもない。それが日本人の風俗とエコノミックな美意識。伝統は一部の人の優越感の中にあるばかりで、知的外国人以外のよそ者には共有されない。世界遺産に登録して観光客を呼ぶだけの都合の良い腹。どうして丸ごと残っていたものを保護しようとしなかったんだろう。いつも思う。木造は本当に保存できなかったんだろうか? そしてまた歩いて移動。どこを歩いたかよくわからないが、写真の順を追うとサンタンジェロ城や天使の橋を渡ったことがわかる。それからまたすごいところに行ったけれども開門時間が終わっていて中に入れなかった。 ![]() ![]() コロシアム。「ドラゴンへの道」で観て以来憧れの地だったが此処ももう間に合わず。金網の隙間からのぞき見たのみ。観光本に「ジプシーが多い」と書いてあったので客足が引いたここにいるのも少し危険な感じがして離れた。 ![]() それから宿泊したホテルエリゼオ。 ![]() ![]() てくてく歩いていくと有名な冷たい雨の中に花のドゥオモ。 現実とはこんなにあっけなく現れる。しかし、心はおおお〜〜〜。 中を見るのは後にして、先にウフィッツィ美術館へ向かった。ウフィッツィ美術館でフィリッポ・リッピとかボッチチェッリとか。 この頃はガラスの衝立もなく触ろうと思えば触れる感じ?だったかな?とにかく「プリマヴェッラ」や「ヴィーナスの誕生」の前で小学生がワイワイやって写真を撮りまくったりしていた。ような気がする。のに、なぜぼくは写真に撮ってないんだろう?写真はダメだったのかな?よく覚えてない。 ![]() 橋の上は貴金属屋さんでいっぱい。職人もいてカンカンコツコツあれこれ作っている。こういう所、「パフューム」という映画に出てこなかったかな? それからピッティ宮という所に行っちゃったかも。メジチ家のでかい庭園付きの御殿。雨雨。 よく覚えてない。グロッタがあって中に入らせて欲しかったけれどもただの一般人だし、誰も係がいなかったので黙って暗いところを眺めただけだった。 ![]() ![]() なんだかおかしなデブの像だな、と思っていたらメジチ家の誰か知らンの像だったらしい。こうした像を造って置けるなんて器がでかいというか、諧謔に富んだ人物だったんだろうと思わずにいられない。こういう精神性がなければパトロンなんて無理だろう。なんとなく澁澤龍彦の描いた藤原清衡を思い出す。 ここでも世界を思わせる象徴としての亀を見た。 ![]() たぶん寒くて疲れた。どこかでバールに入ったと思う。ベネツィアでチーズにあたって胃がもたれてさっぱりしないのでイタリア料理をまったく食べていない。砂糖付きのパンとかクロワッサンのようなのばかり食べている。 バールでカフェラテを頼んで、パンを食べようとうろうろしていたら「Panna」と張り紙があったので指さして「ぱんな、パンナ、ウノ」と頼んだ。周りがなんだかニヤニヤしたような気がしたけれどまあちっこい日本人がもの珍しいのだろうと思っていたら、運ばれてきたものは飲み物で、カフェラテによく似たカップがふたつならんでしまった。 その後顔を真っ赤にして、レジ横にあった砂糖まぶしのパンをもう一度買いに行った。イタリア人たちは大きな声でなにか盛り上がっていた。イタリア人は常に声が大きいのだ。 アルノ川の色は濁っているのか、日本にはない色。曇り空が似合う。 ![]() ヴェッキオ宮殿も修復中だった。チンチンを見上げる経験はなかなか無い。 ![]() なんだか時間がおしてしまってふたつある塔のどっちに上がるか悩んだ末、高い方!と思って登った塔から花のドゥオモの展望所を見たらあっちの方が高くて悔しかった写真。 だけどドームに一縷の光線を当てた奇跡の写真。 ![]() 日が暮れる頃、駅へ行く道がわからなかったので、ポリスに訊ねたりした覚えがある。それで駅へ向かう途中、聞いたことしかない高級ブランドの軒を連ねる通りを歩いた。そういう聞き覚えのあるところではない洒落たお店でひとつカバンを買った。 ![]() ホテルに戻って、ホテルガイドをパラパラ見ていた。このままローマも集団旅行に呑まれるのはどうかと思ったのもあったし、ひとつ泊まってみたいホテルの名前のメモもあった。澁澤龍彦が滞在中に泊まったホテル。そのホテルをガイドに見つけた。 自分で予約するのは無理なので、フロントのニイさんに頼んだ。航空券を見せろというので見せたら「この金額をおまえが払ったのか?」と何度も驚き混じりに聞かれた。なにしろ額面60万円の航空券。実際は12万円ぐらいで宿泊込みだった。 「シーシー、ぼくが払いましたよ。」 ホテルの予約はなんなく取れた。ちょっと高いけどいいだろう? コジモ・ディ・メジチは「帆をかけた亀」を「急がば回れ」という教訓の象徴としていたらしい。どうもフィレンツェじゅうに亀の像があるらしいと、いろんなブログに書かれている。知らなかった〜〜無知が恥ずかしい。 ![]() 日記を付けてなかったので、フィレンツェのことをあまり思い出せない。 前日はピサから列車でフィレンツェまで来て、市外から少し離れたホテルに直行して疲れてそのまま休んだのだと思う。翌朝起きて朝食のためにロビーに出ると日本人ツアー客でごった返していた。ぼくらはツアーではなかったがツアーで使う安宿で泊まっていたから仕方がないけれど、せっかく異国に来ているのにこうも日本人では、誰しもうんざりするのでは無かろうか?どう思う? ![]() ![]() そぼ降る雨、市街までどれだけあるのかわからなかったけど歩いた。 ヴィンテージでない普通の街。はじめて見るガソリンスタンド。はじめて見るバイク屋やその他いろいろな商店。実に地味。日本のような看板はほぼ無い。そこが店なのかどうかわからないこともある。もしここに住んで釘抜きが欲しくなったらどこに買いに行ったらいいかわからないだろうと思った。それくらい看板は控えめで美しい街だった。イギーはワイルドだったけど。 ![]() ![]() ![]() コーヒーカップやベネトンの大きな壁画。なんだろうこの誇り高い感じ。 小さい頃からこうした「最高」感覚を味わっていたら、安いものばかり買って威張っている日本のような人や街にはならないような気がしてくる。車はあいかわらず小さくて可愛い。一番上はルノー4で、この翌々日に同じ型の車にお世話になることになるのをこの時は知らなかった。 雨の中を出勤するバイク。ほとんど小型、多分125cc以下のスクーター。独特の雨除けを装着して、みんな足を少し上げた格好で飛沫を上げながら滑走している。おしゃれなイタリア美人も伊達な青年もモーター文化と共生している。 ![]() ![]() ![]() 列車の旅、一日目は青い線、ジュネーブからミラノで乗り継いでヴェネツィアまで。二日目はヴェネツィア観光。三日目は緑の線の線路でイタリア中部へと向かった。宿泊はフィレンツェだったけれども、一度通り過ぎてピサへ観光した。 地図の赤い太い線は空路かなにか?ぼくの旅行とは関係ありません。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() なぜピサへ行ったか? イタリアというとピサの斜塔くらいしか思い浮かばなかった。じゃあなぜイタリアなんぞへ行ったか?というとよくわからない。 駅から、確かトボトボ歩いたと思う。ちょうど最近行った姫路のような感じで街を抜けるとカランとした広場があってそこに超現実主義の絵のように塔と聖堂が建っている。おみやげ屋がいっぱいで、いくつか斜塔のフィギアを買ったと思う。 ![]() ![]() 塔の中心は螺旋階段になっていてやはりすごくすり減っている。二階三階とグルグル回って登るのだが、傾いているから重力が変で疲れる。 出口からベランダに出ると手すりとか柵のようなものはない。柱があるからそれを頼りにするのだけれども太いからしっかり抱きつけない。思ったより傾いていて滑って落ちそうで非常に恐いですよ〜〜。(しばらくしてから登塔禁止になったらしいが、今はまた登れるようになったのかな?) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() < 前のページ次のページ >
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