訃 報 あ り 夏 の 海 ひ と は ひ と り
母方の一番上の従兄が亡くなった。60歳。
今年校長先生を退職してこれからというとき。3月に入院して5月にはゴルフでコースをまわるぐらい良くなっていたらしいが、急転。
思い出すのは唯一、海での思い出。
しんちゃんは岐阜の教育大学を卒業後、愛知県の三河湾に浮かぶ小さな島、日間賀島に体育の先生として赴任した。その彼を頼りに、我が父率いる貧乏家族は夏の休暇を利用して海水浴に訪れたものだった。覚えているうわみ荘という旅館の名。昭和45年頃?
海水浴で興奮して早起きした少年時代のぼくが入り江に泳ぎに行くと、年頃の女性としんちゃんが泳いでいた。子供心になんとなくときめくような風景だよね。後にしんちゃんのお嫁さんになる女性だった。彼女も彼に誘われて遊びに来ていたのだと思う。
夏の日差しが小さな島の入り江の波の面にキラキラと揺れている。
ぼくが覚えたての潜水を試してみると、海底に「カシパン」がびっしり棲息していて、びっくりして足をつくことが出来なくなって哀れな泳ぎ方でバシャバシャと暴れているのを喜んで貰った記憶がある。
その彼女が最初から最後まで大泣きに泣いていた。
誰も知らないむらさきの山
行く先告げず 目を瞑りながら
回転木馬に乗るように
進むことなくただ周りながら
走ってゆく父さんと父さんの恋人
走ってゆく母さんと母さんの恋人
(あがた森魚「むらさきの山」)
* * * * * * * *
土曜の朝訃報を受けて、その日見る予定だった万有引力の芝居をキャンセルして帰郷。
鎌倉の海は海開きの日だったらしい。作りかけ?のような海の家にすかした女性が、読書する姿などひとつ見たりしながら駅に歩いた。新型の新幹線は乗ってみると土管のように内側が円筒形になっている。土管というか小型飛行機。あっというまに愛知県。
土曜に通夜、日曜に葬儀。清洲から岡崎までドライブする途中以前住んでいた安城市の弁天様に寄る。水の中の鳥居は昔のままだった。
安城と岡崎の境には矢作川があり、かつては真夏の日を反射して目がつぶれるほど真っ白な砂の河原だったのだが、今は砂の部分はほとんど無くて草が茂り森のようになっている。
在所から歩いていけるその矢作川にもしんちゃんに引き連れられて、泳ぎに行っていたそうだがほぼ覚えていない。いちど、急に深くなっているところでもんどり打って溺れかけたところを、従兄の誰かに救われた。さて、あれはしんちゃんだったかな?
しかしその頃の8mmフィルムがあるらしい。縁側でみんなでスイカを食べている田舎少年の映像。DVDに焼いて送ってくれるそうです。不思議な時代になったものだとしみじみし〜のとつぎ〜の。自分といとこ少年団の映像?ギザ奇跡。
* * * * * * * * * * * * * * * *
しんちゃん無しに今の自分は形成されなかったことだと思う。
神尾心一の冥福を感謝の気持ちとともにお祈りいたします。