日をまたいでしまったけれど、一応今日は今日。29日のつもり。
パチャパチャですね、この音。「パ」というほどでもないかも知れない。今晩も押してます。
早朝から出掛けて、車のメンテナンスのオフ会。アルフアロメオ145の有志数名。
半田舎のいつもなら人通りもない道端。畑と高速と藪のふきさらし。
途中警察が(普通のレガシーから防弾チョッキ着て)来て、少し注意を受けましたが完遂。物騒な世の中ですからね。変な連中というのは常に監視下におかれるものです。
ドライブシャフトのグリース交換とタイミングベルトとそのテンショナーベアリング、ウオーターポンプの交換。路上でプラグ穴からマイクロメーターのようなのを差し込んでピストン上死点を探るッちゅうのは、ひとつのパフォーマンスですねー。
さすがに郊外の地域は夜になると冷えます。腰をガクガク云わせながらみなさまがんばりました。10万キロを走った知人の車、快適なノーマルのフィーリングを取り戻すことが出来たんでしょうか?
『MOTHER 3』をやっています。
ドラマ部分はアニメになってしまっていて、プレイヤーが操作する余地はない。ぼくら頭が悪いので、やらなきゃいけないことを指示してくれるのはありがたいこととして受け取らなきゃいけないんだろうか?
いといしげさとの姿勢って前からそういうふうだっけ? そうだっけ? そうでしたっけ?
いまだにドラクエ2のこというのもどうかとおもわれるかも知れないけど、あの頃はキャラクターが勝手に歩いて行って会話をはじめたりする事ってあんまり無かったような気がしないかい?(あったのかもね〜。)
ドラマチックなことと云うのは、現実上ではたんたんとしてあっけないことなもんだ。ものすごい夕焼けを見たときに聞こえているのはヴァンゲリスでもワーグナーの曲でもない、電車のガチャガチャ云う音とか、ピザ屋のジャイロが曲がっていく音とか。
よくできたときでかまびすしいヒグラシの声とか夕凪の波の音ぐらい。
感動に昇華されるのは受け側個人個人に根ざす思い入れを揺さぶるからでさ、こちらの思い入れまで演出家に演出されるのはうんざり。(ぜんぶそっちでやっちゃうのかよ?って感じ)
ファイナルファンタジーがよくできたCGで作られるようになって、出会いみたいなドラマ部分は「ただ見ているだけ」みたいなことになってしまったのと同じくらいつまらない。マトリックス人はそれでいいのかも知れないけどね。我々はパンクスだからねえー。ゲーム製作側にとって、プレイヤーの扱いとは、ただの経験値稼ぎマシーンにしか過ぎないのではないか? でもね、ぼくは弱いものいじめやお金儲けよりも謎解きや出会いをしたいんだよ。
トラルファマドール星人の君としてはどう思うっすか?