ヨーグルトのひび割れ、見たことありますか?
または乾いた田んぼの地割れ。それとかプリンに切れ目を入れたとき。ひび割れや切れ目に汁や用水やカラメルシロップがツーッと流れていきますよね。柔らかいかたまりの隙間をスルスルスル〜っと流動性の高い液体が走るのです。その液体が非常に熱いものだと、ここで空想してみてください。
修行場のごとく静かな温泉風景です。温泉は泥。ヨーグルトのように重くやわらかです。ぼくは出雲の床屋で坊主頭にしましたのでどこにいるか一目瞭然です。長湯に適した低温の鉱泥なのでみなさん療治のためにゆっくり静かに使っています。源泉の熱湯が写真の二本の柱の湯の底から
ゴボッゴボボボ!ゴッボゴッボ!と湧き出ています。
ヨーグルト状の泥というのは比重が重く、スキを見せると身体が浮き上がります。背中を湯船の段差に押しつけるように座っているのですが、うっかりお尻が浮いてしまうことがあります。
あ、と思って慌てて足をばたつかせた途端ひび割れが源泉まで走り、割れた泥の隙間を沸きたての熱湯がピューーーっと流れてきます。
あ===っちっちあっちっアツチチチチ!と心の中で大騒ぎになるわけですが、そこはそれ修行場なのでそれとなく表面上は受け流しているのです。
そこは別 府 温 泉 ほ よ う ら ん ど。
ランドとつくので楽しいところかな〜なんて思うとまったくその通り。ぼくはここが大好きで数年おきに4回ほど行ってますが、都会派できれい好きの日本人には見向きもされないのか、ほとんど日本人と会ったことがありません。最後に行ったときには、ハングルと中国語の表記が増えていて、日本人の中から日本の鄙びた楽しいものが消えていきつつあるのを感じたものです。
ま、ただの趣味の違いでしょうかね?
こちらは露天の泥湯。
ここはほぼ天国です、深みにはまらなければ。泥の深みは怖いです。熱いと思っても足が抜けません。慌てると地の底から湧き出ている熱湯に絡まれます。まあそういう底なし熱湯沼のごとき場所の近くはロープが張ってありますので大丈夫。ぼくは転けそうになってロープを頼りに掴んだらそのままのれんを押すようにそちらに倒れ込んでいってしまってそこそこ地獄を味わいました。
じつに楽しい場所です。
小学校の建物のような保養ランドの宿泊施設。ほとんど宿泊者はいなかった。今回の旅は温泉に泊まるたびこのような宿だった。古い日本家屋とかより気を遣わなくてすむのがよい。
それからおきまりの別府の地獄めぐり。泥坊主、血の池、海地獄など。
N氏はこの後福岡の大学時代の同級生に会いに行くということになったので、途中で別れることになった。さて、と地図を探して
「青の洞門」を観に行くことにした。
フィルムが残り少ないせいか写真無し。
「青の洞門」といえば道徳の時間に習った話。お坊さんが山の岸壁にノミで穴を掘り、不便な村人のためのトンネルを掘ったというアレ。行ってみると確かに大岩を手掘りで穿ったトンネル。コツコツと細かいノミの後が無数に残っている。それはスゴイ。
けれどもその細い道に沿った川。川の向こうは田んぼが広がる。耶麻渓というわりに険しさがない。なにも崖っぷちを通らなくても、田んぼの端っこを歩けば安全に行けそうに思えた。
うむ〜〜〜どうなってるんだ道徳よ。
ぼくは仕事があるので東京へ。日没の頃の関門橋がむちゃむちゃ怖かったが、関門海峡両側の街、港や船舶に点る灯りが高みから見えてとてもきれいだった、ように覚えている。
その晩広島まで走り、街を流していたら暴走族の音が近づいたので、逃げるようにビジネスホテルに駆け込んだ。まったく外に出ず、翌日も朝一で観光なしで逃げるように東京へ帰った。
広島は高校の修学旅行以来だった。お好み焼きぐらい食べに行けばよかった、と今さら思うけれども、ぼくのなかでは広島はヤクザ抗争の街なので怖くて案内無しのひとりでは出歩けないのだった。
《完》