11月24日月曜日の日付が変わるちょっと前ミノル猫、ミノルジョーが死んだ。おおよそ19歳だった。
人のように長寿の大往生、と云ってちょいとめでたい感じにもしたいものだけれどもそうもいかない。やっぱりさびしい。
まだ悲しいので写真は見られない。
日曜日にはぎりぎり立ち上がり、自分でトイレへよろけながら行って用を足した。月曜はずっとそばにいて撫でたりあたためたり。火曜はもう箱に入れられて冷たい雨の降る土の中。あんなに頑張って立ち上がっていた生命だったのにな。どういうことなんだ?そう思うよね。どこにいっちゃうんだ命ってやつ。
ミノルの鳴き声はとにかくすごかった。脳みそが空っぽでその空いた頭蓋におもいきり反響させて鳴く。石垣島の豊年祭で見た歌うおばあの発声を生まれながらに体得していた。そんな叫びが消えてうちも静かになった。食事をしなくなって16日くらい水だけで生きた。
途中で一度だけイワシの刺身をひとかけら食べた。千切ったのを乗せた指ごと食べるような噛みつく勢いに驚いた。なにをやっても顔を背けるのであきらめていたが、アキツケが最期に食べたのを思い出してやってみたら食べてくれた。その1回きりで以後はイワシも食べなくなった。
ともあれ生命力の強い猫だった。以前住んだ三ノ輪の家のふたつあった階段の北のを登り南のを下り、何周も何周もまるで比叡山延暦寺の千日回峰行のごとき修行を積んでいたからに違いない。こちらの家に来てぐるぐる廻遊することはかなわなくなったけれども、階段を上がり下りしながらギャアギャア鳴き喚いていた。
これよりはミノル阿闍梨として回向していこう。
(阿闍梨と回向では大乗とか小乗とかいうなにやらが違うっぽいけどまあ猫だしな)
ともあれミノル阿闍梨さま、一緒に暮らした歳月をありがとう。