医者にかかって、はじめのうちはマメに通うもの。症状に変化がないとだんだんとルーズになるかも。とりあえず最初は頑張る。海辺をはるばる歩くのは身体にもいいし。
症状はいくらか改善しているように思える。ここ三日間はかなり真面目に薬漬けになっている。ここ30年の間、薬など全部合わせても10粒飲んだかどうか、その中には正露丸も混ざってるくらい薬を嫌ってきた。
こういう、いざというときに聞いて貰わなくては困る。
だが、薬局で説明を聞くと、薬で胃が荒れた時のための薬だとか、なんだか虚しい目的の薬もついでに飲まなくちゃならないんだな。ぼくなんかは飲み慣れていないから激しい副作用に見舞われたらどうするのだ?と戦々恐々だったが、今のところ何ともない。いたって普通。
今朝、右耳はもうだいぶ良くなった。内耳で膨らんでいた水風船の感じが無くなり、低音もゴンゴン響いたりしない。音楽も聴いたりできる。ただ右耳にゴーゴ、ゴーゴ、ゴーゴと不快な不連続低音が流れっぱなし。
昔なにかで聞いた母の腹の中の赤ん坊が聞く胎内音に似ているような気もする。
自分の音を自分で聴くというのはなかなかない。枕に耳をつけた時に、血管の膨張収縮する音が籾殻を揺すってカシャカシャという風に聞こえたりおならや歯ぎしりを聞くことはあるけれども、こういう内的な音を聴くことってあるだろうか?身体と精神が分離しはじめているのだろうか?そろそろそういうことも受け入れていかなければならない年齢なのだな。血が出ることや体の衰えも受け入れることなども。などなど、あれこれ考える。
昨日、光明寺に寄ったら山門に暖簾(?)などが飾られてあって十夜法要が始まることがわかった。
あそこに出る露店でなにか買って食べて美味いと思ったことがない。どうせ不味いものだと思うけれどもまあ折角の縁日だから冷やかしてみるかと昼間出かけたら、法要は夜からで露店も出ていなかった。仕方がないので猫などからかって帰って来た。
どうせうまくない粉モノだけれども、当てにしていたのでなけりゃあないで困る。すごすご家に戻ってきて妻にスパゲティなど作ってもらってモトGPなど見ながら食した。
かつて2スト125ccが戦っていたモト1クラスは、今や4サイクル250cc単気筒のレースである。'80年代後半ではホンダのCBXとかヤマハのSRXとかが張り合っていたのを思い出すと隔世の感がある速さ。
しかし、シングルエンジンの排気音が世界中のサーキットで響くのを考えるとなにかちょっと嬉しいものだな。
などなど、撮った猫の写真の合間を埋めるためにうだうだ余計なことを書いた。
耳の山芋、病も比較的軽かったし、順調に回復傾向にあってホッとした。
そういえばレースでコーナーリングの際に、バレンティーノ・ロッシだけが火花を散らしていた。ワークスのレーシングマシンなのにどういうことだ?と心配した。よく見たら肘のあたりになにか火花の散るようなモノをつけてわざと飛ばしているのだというような感じだった。正しくは知らない。ステップをするようなマシン造りはまずないだろう?最近のコーナリングはもう肘を擦らんがばかりの倒し込み。異次元ですよ。ほんとに一度見て欲しい。
いよいよロッシが好きになっちゃった。