〈メモ帳〉
北温泉 12151 10:00発
檜原湖 12295 02:20
赤山 12412
那須高原から檜原湖へはどういうルートを辿ったか覚えていない。下まで降りて高速に乗った可能性が高いと思う。(あぁ、今思いだした。高速に沿うような国道4号線(もっともこっちの方が先にあったのだが)を帰省の渋滞に混ざってノロノロ進んだ。途中でストレスの溜まっているであろうドライバーに嫌がらせされたのを思い出した。)
しかしその先を忘れた。猪苗代湖あたりからまた坂を上り檜原湖。檜原湖の高原の空気の湖の中に点々と小島が浮かぶ風景が素晴らしかった。
檜原湖から山道を喜多方の方に抜け(R459)、ラーメンも食べずに米沢街道へ進んだのはよく覚えている。その道は地図で見るだに恐ろしい道だった。ダートだったら非常にしんどいぞ、と思っていたが杞憂に終わった。大峠手前のグニャグニャつづら折れの道は、だ〜れも通らぬのにピッカピカの舗装道路。ニッポン改造だかなんだかで潤沢な予算が山の中の道にも及んでいるのだろうと思った。
クラッチを握る手があまりに頻繁にチェンジを繰り返すのでくたくたに疲れた。
現在では地図の真ん中あたり、面白みのないまーーーーーーっすぐなトンネルの道しかない(多分)。数年前に通ってびっくりした。あんなにピカピカだった道なのに10年で破棄だよもったいない。当時はトンネルの道はなかったので(あっても通らないが)ぐにゃぐにゃの道でワインディングを愉しんだ。
Aは大丈夫かとたびたびバックミラーで確認すると、なかなかのバンク角で頭までまっすぐに倒してコーナリングしていた。そして峠の狭いトンネル。車だったらすれ違えないようなトンネルを抜けると、広大な山形県の風景。そして道路は県境から向こう凸凹の埃っぽいダートになっていた。うううう、県の予算の差だったのか???
モンテッサ・インパラ2はさすがに実用車。ほとんど運転に支障はなく、前傾姿勢のSRXのぼくのほうがやや焦った。途中廃校などもありかなり過疎化が進んでいるようだった。
米沢からAの在所の赤山への道は鄙びた田舎道。山と山に挟まれた明るい谷間を進むと検問で停められた。帰省のドライバーに安全運転を呼びかけようと云うことでなにやらそういう紙を貰った。
「どこまでいくのか?」と方言で聞かれ
「赤山です」と答えると
「あれ?そういえば赤山のKさんとこにAさんが来るって言ってたな」などなど。
我々が来ることは警察にまですでに伝わっていた。おそるべし地方共同体。
Aの祖父にあたるKさんは按摩の名手で、多分東京にまで名前が伝わっていた。車で運ばれてきた寝たきりだった人が揉んでもらって、歩いて帰っていくという逸話。オリンピックの選手なども時々来ていたらしいが診療費は一切もらわなかった。医療の免許を取ろうという時にちょうど戦争になって果たせなかったのだ。それで善意で揉んでいたのだが、やはり近所の接骨医のやっかみみたいなものがあり、たびたび通報されて警察が来ていたと聞いた。
さらにKさんの祖父にあたる人は超能力者で、たま書房から彼の事を書いた本が一冊出ていた。なんでも掛け軸に向けて投げた筆が宙を動いて龍を描くとか、山形のアパートにいたのがテレポーテーションで突然東京に現れるとか、なんかそういう話に尽きない人だったらしい。
そんなKさんの家に無事着いた。山の中のひらけたところの煙草農家の家だった。