実家のある愛知県の清洲。
所用の後、母と弟とクルマに乗って何処かへ行こうということになり、電車の貼り紙に見た名古屋金城ふ頭の水族館とか、長野の舞台のあるお寺とか、アレコレ考えたが手近なところで羽島になった。
羽島には円空の彫った仏像がある。N氏から聞かされていたのを後で思い出したが、その時は忘れていて「なんか岐阜の山の中が本場だよな。」とか思ってた。なので本場の山の中の村の古びたお堂みたいなのを想像したが、ちょっと母の車ではそこまで飛ばすのも大変だから近場の羽島になり、少し惜しい感じがした。
しかし自分の浅はかさっちゅうのはいつまでたっても治らないもの。円空は羽島で生まれたらしい。「本場」とかいう安物の価値観でモノゴトを推し量るな、このうすらバカなオレよ。
まず、中観音堂で大きな十一面観音像や聖徳太子象、鬼子母神象、神像とかその他いろいろを見る。素晴らしい。
十一面観音像が「水筒」を持っているのを「円空の母が、円空が子どもの頃水害で亡くなったので」というような説明を受けたが、聖林寺の十一面観音なども瓶子を持っているので、そういうひとつの様式なのだろう。そういうところに思いを重ねて観音様を奉納したのだろう。
資料室の一角に夥しい数の新刻のレプリカがあった。お留守番の方に訊くと「二年ほど毎日ここに通い詰めて彫っていた」らしい。朝、資料館を開けるのを待って入り、夕、締まるのを惜しむように帰ったのだろう。掘り様は円空の物まねだけれども、円空の像をコピーして彫るというのではなく、なにやらもう資料館の片隅で(自分が円空になったかのように?)懸命に彫っていたらしい。お客さんが来ると裏に隠れ、帰るとまた出てきて彫っていたらしい。
ある時急に来なくなって心配していると、しばらくしてから奥さんが尋ねてきて彼が亡くなったのを告げられたらしい。約二年の間通い詰め、お弁当も受付の人たちと食べ(でも10分もするとすぐ戻っていったそうだが)なんだかその時間の重箱の隅までつつくような執念を尊敬してしまう。
こういう世の中に認められずに結び目のようなものを土産にしてひっそり消えていくような人が好きだ。つきあえば多分つきあいにくい人のようにも思えるが。
中観音堂を後にして、近くの薬師寺にも幾つかあるというので寄ってみた。日光菩薩月光菩薩、薬師如来、素晴らしかった。
眉から鼻にかけての稜線の繊細さ。大胆な彫りのなかにある「ここ以外無い」という絶対的な線。しかも神経質な感じがないのは時を経たせいだろうか?精神性がおおらかなせいだろうか?
しかし、どこへ行っても盗難の話になるのが世知辛い。だれにでも開かれているべき信仰の対象が金に換えられ、閉ざされた個人の元に誘拐されていくさびしさは計り知れないなぁ。