二日目の晩は、21時半頃セクシー家を出て自動車学校の寄宿舎に泊まりに行った。
合宿免許用に作られた宿?三人ひと部屋の二段ベッド。ぼくにとってはフェリー以来。(沖縄〜鹿児島、あの時はフェリーの乗船者が少なすぎて、広い二等の雑魚寝部屋を解放するのが無駄というか管理するのが面倒なので、狭い特二等の6人部屋に押し込まれたのだった。)ベッドはいいな。
翌朝、部屋の鍵がない!とかあったけれどもチェックアウト。ザーザー雨。
チェックアウトして一旦セクシー家に行って食事。緊縮財政でひとり200円までおにぎりやらコロッケやら悩んで工夫したが、朝食を用意してくれていた。またまたおいしい茎ワカメとメカブにありつけた。そこで納豆の食べ方は人によって家庭によって千差万別だとわかった。
昼頃、午後三時の公演に向けてクルマで出発。川沿いにどんどん山奥へ。有住というところ。一時間近く?一度変に曲がってしまって途方もない山奥へ迷い込んだ。
なにかちょっとした疑問が脳裏をかすめる?
山奥と津波被害。デイケアの介護施設。復興とか被災者とかうまくつながっていないような感じ。ぎこちない気分になってしまったぼくだったが、ライブは最高だった。被災していようがいまいが人はひとりでひとり分生きて、ひとり分往き終わる。
歌うからには一期一会の一所懸命。素晴らしいステージだった。片岡さんの逞しい役者魂。ぼくはまた名曲「月夜のラクダ」でボロボロ泣いていただけだったが……
終わって雨に桜が散る。いよいよ強く降りだした。晩はついに投げ銭ライブ。ようやく雨男・伊藤ヨタロウも本領発揮?
また延々と川沿いに山をくだる。老人施設のすぐそばにも点々と仮設住宅の表示がある。こんなに奥の方まで避難。付近では土地が用意できなかったのだろうか。
高田の町に戻る。町のあったところをライブハウス居酒屋へ。下水?排水機能がほとんど麻痺しているので道路がところどころ冠水している。
ザッバ〜〜〜ザババババ〜〜〜〜!
しかし交通量は少ない。時々、観光?のクルマが停めて写真を撮っていたりするばかり。聞くと地元のクルマは山沿いの道を使っているらしい。今後はそちらの方がメインの通りになるのではないかという話だった。
しかしおおお〜〜〜ただでさえこわけやすいといわれるイタリヤのクルマだいじょぶか〜?
ザブザブザブブブブ〜〜。
津波でやられた居酒屋「わいわーい」が、高台に仮設で作って営業している。屋根がトタン。雨漏りもある。篠つく雨音がものすごい。
負けじと良い音を出さねば。良い歌を聴かせねば?と、今回はセッティングからPAか貸して下さった方が来てくれて、音質もバランスもばっちり調整してくれた。バイオリンのベチコさんも細かい音色の注文を出していた。やっぱりミュージシャンてすごいな〜とただ感心してばかり。
大雨警報のなかお客さんはほぼ身内と一本松の小宮さん他、少なかったが充実したライブ。もったいないな〜。ライブが終わってしばらくするとPAの人は至急呼ばれて出かけていった。仮設住宅脇の崖の土砂がゆるんで流れそうだったので、夜じゅうビニールシートを掛けに廻っていたらしい。