ずいぶん前にスキャンしたままにしていた古いイタリア旅行の写真をアップすることにした。
イタリア旅行には1989年とたしかこの二年後の1991年にも行っていて、'91年は湾岸戦争中だった。どちらも妻との貧乏旅行で一回目はアエロフロート(ソビエト連邦国営)で往復ホテル込みで12万円ぐらいだった。
シベリア上空。
はじめて乗る飛行機で、落ちたらどうしようとか思わなかった。高所恐怖症だけれども、ここまで上がってしまって平行移動していると特に恐くない。角度が付くとちょっと恐い。
スチュワーデスがちょっとかわいくて、化粧も体型もマトリューシュカ人形の一番外側みたいな感じだった。ピンクフラミンゴ的といってもはずれてないと思う。
機内は狭くてひかり号ぐらいではなかったかと思う。通路にスチュワーデスがいるときは乗客はどこかに行こうとすると押しくらまんじゅうを覚悟しなくてはならない。
ぼくはとにかく窓際に座ってずっと下を見ていた。シベリアの端から端まで全部見た。寝ている間はのぞいて。
出される食事はまずかった。しかし初めてだったからこんな物だと思っていた。特においしい食事など機内で求めない。食事が出るだけマシ?出ない方がマシ?よくわからない。どうでもいい。
モスクワの空港に着くとタラップで地面に下りた途端に、「バスに乗れ」とか命令されるように言われ、総床のスタンディングなバスに乗せられた。なんか恐い。なにしろ共産主義だ。
日程の都合でイタリア行きの人は乗り換え便ではなく、一泊便の方になってしまったのだ。イギリス行きの人は乗り換えてバイバイ。日本人は我々だけになっちゃった。
そのままだったか違うバスに乗り換えたか覚えてないが空港すぐそばのホテルに連れて行かれ部屋をあてがわれた。「ゼッタイ外に出るな」とかズビズゥ〜バロシア語で言われたと思う。うっすらとモスクワの観光なども思わないではなかったが外に出られるような状況ではなかった。
ホテルのラジオ シンプルデザインでなかなかいい。
6階ぐらいだったと思う窓から、見たこともないような背の高い白樺の並木があった。モスクワのどの辺だろう?空港はモスクワのどの辺だろう?なんにもわからない。
テレビはなくてラジオのみ。ベッドの幅が70センチぐらい。このように細い寝具を見たことがなかった。とにかく貧しさを感じた。映画「スローターハウス5」でアメリカ軍のドレスデン空爆の少し後に、敗北したドイツを蹂躙するべく火事場泥棒のようにやってくるソ連軍を思い出した。
水はガラスの水差しが置かれていた。飲んでみたら生ぬるくてまずい。部屋は十分暖かい。寝相を悪くするとすぐに落ちると思い、気を引き締めて眠った。