こうしてブログを書く画面の一番上には政党の広告が出ていて目障りで仕方がない。
日本を考える夏にしてください。自民党とある。
せっかくだから冒頭に「せめて」をつければ消滅し往く運命を予告するようで、よりはかなさが増すのではないか?
歯医者の帰りの材木座。晩夏の光線は先が折れていて刺さるときに痛みがともなう。海への人出もだんだんと減ってきて、波音さえ静かな感じがする。ここ何日か風がよく乾いているので快適。
そういえば今日は逗子の花火大会だ。時間は短いけれども最後の数分ありったけの連発をするというヤケノヤンパチスターマインが派手でいい。
歯医者から帰って「水戸黄門」を見ようと思ったら「クリント・イーストウッド 自らを語る」という番組に立ち止まってしまった。何度も見ている「続・夕陽のガンマン」のラストシーン。墓場広場に脂ぎった悪人三人の顔のアップが順々にくどいくらい廻るシーン。何度見ても緊張につつまれ手に汗握る西部劇史に残る名場面。
これ昨日書いた少年王者舘、『夢+夜』の一場面、「間に合った?」「間に合った!」「間に合ったのね?」「間に合ったんだよ!」と途方もなく繰り返されたあの茶の間の場面に似ている。ナニゴトかを繰り返されるとぼくは似たような悦楽の感覚をもよおしてしまうのかしらん?
文楽の『ひらがな盛衰記』だったかうろ覚えだけれども、宿で子供を違えた相手が自分の子を引き取りに、何年後かに遠いところを訪ね来た場面。爺さまが取り違えた子供を連れて来ていないのを知りながら「(わざわざ連れてきてもらって)忝ない、忝ない」とやはり途方もなく長く繰り返し叫ぶ浄瑠璃の涙あふれる場面にも似ているように思う。
文楽では、もうひとつ何だったか忘れてしまったけれども「五分ほど笑い続ける」「笑いを繰り返し続ける」狂気の場面も観たことがある。あんなにつられてしまって可笑しい場面はなかなか無い。あれは咲太夫さんだったか?そしてはてはて、あれは笑う場面だったっけ?
こんな事を思い出すとまた文楽が観に行きたくなる。あの国立小劇場も腰と尻を十分に痛めつけるのに好都合な椅子の作りなのだ。劇場をじゃんじゃん新設するより、とりあえずこっちの椅子を先に直して欲しい。
海で女子にカメラを向けているとこの頃は憲兵のようなマスコミにチェックされる。おそがい世の中です。これは構えていたところに迷い込んできた少女。仕方ないよね。児童ポルノ法で捕まえないでね。